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2026年04月


望みが見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記17章 ヨブが語る。 「私の霊は衰え、私の日は尽きた。」 「墓だけが私を待っている。」 ヨブは、終わりを見ている。 希望が語られない。 先がある。 回復がある。 その言葉が見えない。 人は、望みが見えないとき、 前に進めなくなる。 どこへ行くのか。 何を待つのか。 その問いが、空白になる。 ヨブは、終わりしか見えていない。 墓だけが待っている、と言う。 それでも、語ることをやめていない。 望みが見えないまま、 神に向かって語り続けている。 望みがないとき、 何が人を語らせるのか。 望みが見えないとき、あなたはどこにいるのか。 終わりの中にとどまるのか。 それとも、望みが見えないまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、終わりを見ていた。 しかし、なお語っていた。 望みがない。 先が見えない。 墓だけが待っている。 何が人を語らせるのか。 それでも、語ることをやめなかった。 何が、ヨブを語らせているのか。 神は、まだ沈黙している。 望みが見えないとき、それでも言葉は出てくる。
より子 逆瀬川
4月30日読了時間: 1分


慰められないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記16章 ヨブが語る。 言葉はあった。しかし、届かなかった。 「あなたがたは皆、慰めるどころか苦しめる者だ。」 「むなしい慰めの言葉ばかりだ。」 ヨブは、友人たちの言葉を退ける。 言葉はある。 慰めの言葉。 正しい言葉。 しかし、それが届かない。 人は、苦しむ人に言葉をかける。 支えたい。 助けたい。 しかし、その言葉が、 逆に重くなることがある。 慰めが、慰めにならない。 正しい言葉が、なぜ届かないのか。 言葉の中身の問題ではない。 言葉を語る者が、 どこから語っているかの問題かもしれない。 自分の正しさから語られた言葉は、 苦しみの中にいる者には届かない。 慰められないとき、あなたはどこにいるのか。 人の言葉にとどまるのか。 それとも、言葉が届かない場所で、 そのまま神の前に立つのか。 ヨブは、慰めを受けなかった。 言葉はあった。 しかし、届かなかった。 正しい言葉が届かないとき、 問われているのは言葉ではなく、 語る者の立ち位置かもしれない。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月29日読了時間: 1分


語りを否定されるとき、あなたはどこにいるのか
語りは止められない。しかし、何を根拠に語っているのか。 ヨブ記15章 エリファズが再び語る。 「知恵ある者は空しい知識で答えるだろうか。」 「あなたの語りは、恐れを失わせる。」 ヨブの言葉そのものが否定される。 内容ではなく、 語りそのものを問いただされる。 何を言ったかではなく、 語ること自体が問題とされる。 人は、自分の語りを否定されると、 立つ場所を失う。 間違っている。 語るべきではない。 そう言われると、 言葉が止まる。 しかし、止めることもできない。 ヨブは、なおも語り続け、 エリファズも、問い質し続ける。 どちらも、自分の正しさの中から語っている。 この根拠に、気づいていない。 人は、 自分の正しさを根拠に 語り続けていることを、気づかずにいる。 語りを否定されるとき、あなたはどこにいるのか。 どこを根拠に、語っているのか。 エリファズはヨブの語りを否定するが、 ヨブは語り続けた。 しかし、どちらの語りも、 自分の正しさから出ていた。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月28日読了時間: 1分


儚い いのちの中で、あなたはどこにいるのか
ヨブ記14章 雨の中でも、いのちは息づいている。 ヨブが語る。 「人は女から生まれ、日が短く、苦しみに満ちている。」 「花のように咲いて、しおれる。」 人のいのちは短い。 儚い。 ヨブは、その現実を見つめる。 人は、自分の儚さを知るとき、 立ち止まる。 ここまでしかない。 これ以上は進めない。 その感覚が、内側に広がる。 人は、続くことを求める。 終わらないこと。 失われないこと。 しかし、 目の前にあるのは、儚い いのちである。 ヨブは、なお神に向かって語っている。 弁明でもなく、知識でもなく、 ただ現実を見つめている。 「花のように咲いて、しおれる。」 その言葉に、 飾りがない。 儚い いのちを前にしたとき、 人は何を握っているのか。 儚い いのちの中で、 終わりの中にとどまるのか。 それとも、その儚さを持ったまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、儚い いのちを見ている。 飾らずに、 そのまま。 しかし、その先は見えていない。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月27日読了時間: 1分


正しさを手放せないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記13章 ヨブが語る。 「私は神に語りたい。」 「私は自分の道を神の前に弁明する。」 ヨブは、神に向かおうとする。 ヨブは、なお神を求めている。 逃げていない。 背を向けていない。 むしろ、近づこうとしている。 しかしその向かい方が、 弁明だった。 「私は正しい。」 「私は間違っていない。」 その言葉を手に、神の前に立とうとする。 神に近づきながら、 自分を証明しようとしている。 人は、正しさを持って、 神の前に立とうとする。 それがあれば、 受け入れられると思うから。 しかし、その正しさが、 手放せないものになる。 正しさを握ったままの手では 何も受け取れない。 正しさを手放せないとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の正しさにとどまるのか。 それとも、その手を開いて、 神の前に立つのか。 手を開くとき、受け取れるものがある。 ヨブは、神に近づこうとしている。 しかし、その向かい方は、弁明だった。 正しさを握る手では、 語りを受け取れない。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月26日読了時間: 1分


分かっていると思うとき、あなたはどこにいるのか
知識は語る。しかし、光は別のところから差し込む。 ヨブ記12章 ヨブが応答する。 「あなたがたこそ民だ。知恵はあなたがたとともに死ぬだろう。」 「しかし、私にも心がある。」 ヨブは、友人の言葉に対して語る。 ヨブは言う。 自分も分かっている。 神の力。 神の働き。 それは知っている。 人は、分かっていると思うとき、 立場が強くなる。 理解している。 知っている。 その確信が、前に出る。 しかし、ヨブの知識は、 ヨブを支えていない。 神を知っている。 神の力も働きも語れる。 それでも、苦しみの中で、 その知識は何も握らせてくれない。 「知っている」と「支えられている」は、 別のことだった。 分かっていると思うとき、あなたはどこにいるのか。 知識の中にいるのか。 それとも、 その知識が届かない場所に、 立っているのか。 ヨブは知っていると語った。 神の力も、 神の働きも。 しかしその知識は、 ヨブを支えなかった。 神は、静かに見ていた。
より子 逆瀬川
4月24日読了時間: 1分


言い返されるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記11章 ツォファルが語り始める。 「多くの言葉に答えがないのか。」 「あなたの罪は、あなたが思うよりも軽く扱われている。」 ヨブの言葉に対して、 強く言い返す。 ツォファルの言葉は、鋭い。 語りすぎている。 間違っている。 そう言い切る。 人は、言い返されるとき、 立場を守ろうとする。 自分は間違っていない。 理解されていない。 その思いが強くなる。 しかし、言葉が重なるほど、 争いは深くなる。 ヨブは言い返さない。 恨まない。 それはヨブの敬虔の現われ。 しかし、その敬虔を、 ヨブは握りしめている。 神の言葉の中にいると、 思い込んでいる。 言い返されるとき、あなたはどこにいるのか。 自分の正しさを守るのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ツォファルからの糾弾を言い返さないヨブ。 敬虔なヨブ。 敬虔を握りしめているヨブ。 神の言葉の中にいると 信じているヨブ。 神はヨブを、静かに見ている。 沈黙の中で。 神は、沈黙の中で、静かに見ている。
より子 逆瀬川
4月23日読了時間: 1分


自分の説明が崩れるとき、あなたはどこにいるのか
言葉が尽きるとき、ペンは止まる。それでも、朝は来る。 ヨブ記10章 ヨブは語り続ける。 「私は自分のいのちをいとう。」 「なぜ私を造ったのか。」 ヨブは、自分自身を問い始める。 苦しみは外だけではない。 内側に入ってくる。 友人の言葉は届かなかった。 次にヨブは、自分に向かう。 なぜこうなったのか。 どこが間違っていたのか。 問いは、内側へと向かう。 人は苦しみの中で、自分を疑い始める。 自分が悪かったのか。 何かが足りなかったのか。 しかし、その問いは、 自分を閉じ込めていく。 ヨブは、なお神に向かって語っている。 しかしその語りは、 自分へと引き寄せられていく。 6章で、ヨブは自分の説明の中にいた。 10章で、その説明が崩れた。 「私は一度も神の言葉を拒まなかった」と言えたヨブが、 今は「なぜ私を造ったのか」と問うている。 説明が崩れたとき、 人は何に立てばいいか分からなくなる。 自分の説明が崩れるとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の中に閉じるのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ヨブは、自分
より子 逆瀬川
4月22日読了時間: 2分


正しさが届かないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記9章。 ヨブが応答する。 積まれた本と、その先の棚——言葉は、重なるほどに深くなる。 「確かに、その通りだ。」 「人は神の前でどうして正しくあり得るのか。」 神は大いなる方。 人は、その前に立つことができない。 ヨブは、神の大きさを認める。 神の正しさを、ヨブは否定していない。 しかし、 自分の正しさも、手放していない。 そして、その二つの間には、道がない。 否定でも、反抗でもない。 立ち往生している。 行き詰まっている。 人は、自分の正しさをもって、 神の前に立つことができない。 正しさはあるが、そこに道は見つからない。 人は、正しさで答えを出そうとする。 正しければ、進めると思うから。 残念ながら、神の前では通らない。 ヨブは、なお語っている。 神に向かって語っている。 その語りは、行き場を失い始めている。 語りは消えていない。 なのに、届かない。 同じことが、いま、人の内側で起きている。 人は、正しさを握ろうとする。 正しさがあれば、神に近づけると思うから。 しかし、それでは届かない。 この時、気づきが与えられる。 正しさが届かないと
より子 逆瀬川
4月21日読了時間: 2分


正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。
正しさの中で、それでも朝はくる。 ヨブ記8章。 ビルダドが語り始める。 「神は正義を曲げるだろうか。」 「もしあなたが正しければ、回復するはずだ。」 苦しみには理由がある。それは人の側にある。 正しさが、はっきりと語られる。 ビルダドの言葉は、強い。 正しいか、正しくないか。 どちらかで判断する。 神は正しい。だから、結果も正しい。 この構造は、揺れない。 しかし、ヨブの現実は、この枠に収まらない。 正しさが明確になるほど、 現実との距離が広がっていく。 人は、正しさを求める。 正しいと分かれば、安心できると思うから。 しかし、正しさが人を支えるとは限らない。 ヨブは、なお語っている。 神に向かって語っている。 周りでは、正しさが語られている。 ヨブの内側は揺れていく。 応答は消えていない。 しかし、その向きが揺れている。 人は、説明だけでなく、 正しさにもとどまろうとする。 答えを握っていれば、 迷わなくて済むと思うから。 正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。 人の正しさにとどまるのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場
より子 逆瀬川
4月20日読了時間: 2分


終わりが見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記7章 ヨブは語り続ける 「人の一生は労苦ではないか。」 「夜は長く、苦しみは続く。」 横になっても、休めない。 朝を待つが、夜は終わらない。 ヨブは、終わりの見えない苦しみの中にいる。 苦しみが長く続くとき、 人は時間に押される。 いつまでなのか。 どこで終わるのか。 答えが見えないまま、 同じ時間が繰り返される。 人は、終わりを求める。 区切りがあれば、耐えられると思うから。 しかし、終わりが見えないとき、心は揺れ続ける。 ヨブは、なお語っている。 神に向かって、語り続けている。 しかしその語りは、少しずつ苦しみに引かれていく。 語りは消えていない。 ただ、その中心が揺れ始めている。 同じことが、いま、人の内側で起きている。 人は、理由を求める。 説明の中にとどまろうとする。 安心できると思うから。 説明が重なるほど、 神の語りから遠ざかる。 これでは、語りにとどまれない。 そのとき、神に向き直る。 そこに、気づきが与えられる。 終わりが見えないとき、あなたはどこにいるのか。 人の説明にとどまるのか。 それとも、神に向き直り、気づ
より子 逆瀬川
4月19日読了時間: 2分


自分を説明するとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ6章 ヨブが応答する。 「私の苦しみは量られるべきだ。」 「全能者の矢が私に刺さっている。」 ヨブは、自分の痛みを語る。 友人の言葉ではなく、 自分の現実をそのまま出す。 ヨブは、人の説明の中にいない。 しかし、自分の内側で語り始めている。 友人は語った。 意味がある。 やがて回復する。 人は、苦しみに理由をつけようとする。 そうすれば、世界が分かると思うから。 しかしヨブは言う。 それでは足りない。 今のこの重さは、 その言葉では届かない。 人は、分かってもらいたいと思う。 正しく理解されたい。 しかし、言葉が重なるほど、 距離が広がることがある。 ヨブは、分かってもらえなかった。 正しい言葉を受けた。 それでも、届かなかった。 言葉が重なるほど、 ひとりになっていく。 そのとき、 神に向き直る。 そこに、 気づきが与えられる。 自分を説明するとき、あなたはどこにいるのか。 人の説明を求め続けるのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ヨブは苦しみをそのまま語った。 神は、沈黙していた。 「私は一
より子 逆瀬川
4月18日読了時間: 2分


正しい言葉が重なるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記5章 エリファズは語り続ける。 「神の懲らしめを軽んじてはならない。」 「神は打つが、また癒やされる。」 苦しみには意味がある。 最後には回復する。 ヨブに向けて、そう語る。 ヨブは、人の言葉の中にいる。 すべてを失い、体も打たれている。 それでも、正しい言葉が重ねられていく。 神の語りに応答する、 「わたしのしもべ」と呼ばれたヨブ。 今、神の語りと人の説明のあいだに立たされている。 神の語りの中にいたはずの者が、人の言葉の中で、揺れている。 意味がある。 無駄ではない。 やがて良くなる。 その言葉は、間違いとは言えない。 しかし、どこかでずれていく。 正しい言葉が、今ここにいる自分と重ならない。 人は理由を求めて、説明にとどまろうとする。 安心できると思うから。 説明が重なるほど、神の語りから遠ざかる。 これでは、語りにとどまれない。 語りの中にとどまっていたヨブが、揺れ始めている。 語りから離れそうになっている。 同じことが、 いま、人の内側で起きている。 朝の光の中で、言葉と向き合う時間。 正しい言葉が重ねら
より子 逆瀬川
4月17日読了時間: 1分


正しいことを言われたとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記4章 友人エリファズが語り始める。 「あなたは多くの人を励ましてきた。」 「しかし今、それが自分に起こると耐えられないのか。」 さらに言う。 「罪のない者が滅びるだろうか。」 苦しみには原因がある。 それは人の側にある。 正しさが語られる。 ここで現れるのは「人の正しさ」である。 苦しみには理由がある。 原因がある。 だから説明できる。 この構造は一見正しい。 しかし、ヨブに起きている出来事は、 この枠に収まらない。 正しさが語られるほど、 ヨブの現実とずれていく。 ここで問われているのは、正しいかどうかではない。 どこに立つかである。 人は苦しみを見ると、説明したくなる。 なぜ起きたのか。 何が間違っていたのか。 それが分かれば安心できる。 しかし、その言葉が人を支えるとは限らない。 正しい言葉が、相手を孤独にすることがある。 正しさは、人を支えるか 正しいことを言われたとき、あなたはどこにいるのか。 正しさの中か。 それとも、神の前に立ち続けるのか。
より子 逆瀬川
4月16日読了時間: 1分


生きていることを否定したくなるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記3章 ヨブは口を開き、自分の生まれた日をのろう。 「私の生まれた日は滅びうせよ」 生まれなければよかった。 存在しなければよかった。 これまで保たれていた言葉が崩れる ここで初めて、ヨブの内側が露わになる。 1章・2章では外側が崩れても、言葉は保たれていた。 3章では内側が崩れる。 神への言葉ではなく、存在そのものへの否定。 それでも一つの事実が残る。ヨブは沈黙していない。 神に向かってではなくとも、語り続けている。 完全に離れてはいない。境界線の上に立っている。 人は限界に達すると、こう言いたくなる。 なぜ生きているのか。いなければよかった。 ここで起きているのは、 信仰の崩壊ではない。位置の揺れである。 神を否定する前に、自分の存在を否定し始める。 それでも語りは止まらない。 生きていることを否定したくなるとき、あなたはどこにいるのか。 沈黙の中か。 雨の中で 自分の存在と出会う それとも、崩れながらも語りの中にいるのか。
より子 逆瀬川
4月15日読了時間: 1分


理由が見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記2章 ヨブはすべてを失ったあと、さらに体に重い病を負う。 足の裏から頭のてっぺんまで、苦しみに覆われる。 妻は言う。「神をのろって死になさい。」 ヨブは答える。 「私たちは神から幸いを受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」 理由は示されない。出来事だけが続く。 ここでも問われているのは理由ではない。位置である。 なぜここまで続くのか。どこで終わるのか。 説明はない。 外側の状況はさらに悪化する。前章よりも深いところまで崩れる。 それでもヨブの言葉は変わる。神との関係の中に留まっている。 理解できるからではない。納得したからでもない。 理由が見えないまま、立つ場所だけが保たれている。 人は理由が見えないと、 不安定になる。説明を求める。意味を探す。 しかし理由はすぐには与えられないことがある。 そのとき、人は二つに分かれる。 理由の中に立とうとするか。 神の前に立とうとするか。 ヨブは理由を持たなかった。 それでも、神の前から離れなかった。 理由が見えないとき、あなたはどこにいるのか。 説明の中か。 理由がなくても 離れないヨブ
より子 逆瀬川
4月14日読了時間: 2分


奪われた時、あなたはどこにいるのか
ヨブ記1章 大切にしていたものが、急に失われる。 仕事。人間関係。健康。 一瞬で状況が変わるとき、人は立ち止まる。 なぜ起きたのか。どうして自分なのか。 答えを探し始める。 静かに自分と語る朝 あなたはどこにいるのか。 ヨブ記には、すべてを失った人が出てくる。 ヨブは一日のうちに、財産も、子どもたちも失った。 何も残らない状況。 そのとき、ヨブはこう言った。 「主は与え、主は取られる。」 理由は語られていない。説明もない。 ただ、この一言だけが残る。 人は失ったとき、失ったものに心を引き寄せられる。 取り戻したい。納得したい。 しかしヨブは、そこに留まらなかった。 状況ではなく、神に向いた。 奪われた出来事の中で、どこに立つのか。 それが問われている。 すべてが崩れたとき、あなたはどこにいるのか。 失ったものの中にいるのか。 それとも、神の前に立っているのか。
より子 逆瀬川
4月13日読了時間: 1分


あなたはどこにいるのか
何に対応しているのか 聖書を学ぶ。多くの人が、そこに答えを求めている。 終末預言として。救いの歴史として。キリストの証しとして。 学べば学ぶほど、理解は深まっていく。知識も増える。見える世界も広がる。 しかし、ふと立ち止まる。 今の自分は、変わっているのだろうか。 幸せになりたくて学んだはずなのに、何も変わらない。 豊かさを願って祈ったはずなのに、満たされない。 むしろ、理解が進むほど、現実の自分が取り残されていく。 いったい、何が起きているのだろうか。 聖書は、説明の書ではない。 そこには、神が語る場面があり、人がそれに応答する姿が記されている。 その中で、最初に響いた問いがある。 「あなたはどこにいるのか」(創世記3章9節) 神は、人に説明を与えなかった。知識を求めなかった。 ただ、位置を問われた。 どこにいるのか。 この問いは、過去の出来事ではない。 今、この瞬間にも向けられている。 神は語られている。 その語りに対して、人はすでに応答している。 では、わたしは。 何に応答しているのか。
より子 逆瀬川
4月12日読了時間: 1分
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