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あなたはどこにいるのか


朝日を浴びて ゆっくりと語る
何に対応しているのか

聖書を学ぶ。多くの人が、そこに答えを求めている。

終末預言として。救いの歴史として。キリストの証しとして。

学べば学ぶほど、理解は深まっていく。知識も増える。見える世界も広がる。

しかし、ふと立ち止まる。

今の自分は、変わっているのだろうか。

幸せになりたくて学んだはずなのに、何も変わらない。

豊かさを願って祈ったはずなのに、満たされない。

むしろ、理解が進むほど、現実の自分が取り残されていく。

いったい、何が起きているのだろうか。

聖書は、説明の書ではない。

そこには、神が語る場面があり、人がそれに応答する姿が記されている。

その中で、最初に響いた問いがある。

「あなたはどこにいるのか」(創世記3章9節)

神は、人に説明を与えなかった。知識を求めなかった。

ただ、位置を問われた。

どこにいるのか。

この問いは、過去の出来事ではない。

今、この瞬間にも向けられている。

神は語られている。

その語りに対して、人はすでに応答している。

では、わたしは。

何に応答しているのか。

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