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正しさが届かないとき、あなたはどこにいるのか

ヨブ記9章。

ヨブが応答する。


木製のテーブルの上に重ねられた本。一冊が開かれ、背景にはぼかされた書棚が広がる。
積まれた本と、その先の棚——言葉は、重なるほどに深くなる。

「確かに、その通りだ。」

「人は神の前でどうして正しくあり得るのか。」


神は大いなる方。

人は、その前に立つことができない。

ヨブは、神の大きさを認める。


神の正しさを、ヨブは否定していない。

しかし、

自分の正しさも、手放していない。

そして、その二つの間には、道がない。

否定でも、反抗でもない。


立ち往生している。


行き詰まっている。


人は、自分の正しさをもって、

神の前に立つことができない。

正しさはあるが、そこに道は見つからない。


人は、正しさで答えを出そうとする。

正しければ、進めると思うから。

残念ながら、神の前では通らない。


ヨブは、なお語っている。

神に向かって語っている。

その語りは、行き場を失い始めている。

語りは消えていない。

なのに、届かない。


同じことが、いま、人の内側で起きている。

人は、正しさを握ろうとする。

正しさがあれば、神に近づけると思うから。

しかし、それでは届かない。


この時、気づきが与えられる。


正しさが届かないとき、

あなたはどこにいるのか。


人の正しさにとどまるのか。

それとも、神に向き直り、

気づきの立ち上がる場所にいるのか。


ヨブは、神の前に立とうとしている、が、

その道が見えてこない。


神は、まだ語られない。


正しさは認められても、それだけでは届かない

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