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自分の説明が崩れるとき、あなたはどこにいるのか

更新日:5月1日



木製のテーブルの上に、温かみのあるマグカップと開かれたノート、万年筆が置かれている。背景には柔らかな自然光と小花。
言葉が尽きるとき、ペンは止まる。それでも、朝は来る。

ヨブ記10章

ヨブは語り続ける。


「私は自分のいのちをいとう。」

「なぜ私を造ったのか。」

ヨブは、自分自身を問い始める。


苦しみは外だけではない。

内側に入ってくる。


友人の言葉は届かなかった。

次にヨブは、自分に向かう。


なぜこうなったのか。

どこが間違っていたのか。


問いは、内側へと向かう。


人は苦しみの中で、自分を疑い始める。

自分が悪かったのか。

何かが足りなかったのか。

しかし、その問いは、

自分を閉じ込めていく。


ヨブは、なお神に向かって語っている。

しかしその語りは、

自分へと引き寄せられていく。


6章で、ヨブは自分の説明の中にいた。

10章で、その説明が崩れた。

「私は一度も神の言葉を拒まなかった」と言えたヨブが、

今は「なぜ私を造ったのか」と問うている。


説明が崩れたとき、

人は何に立てばいいか分からなくなる。


自分の説明が崩れるとき、

あなたはどこにいるのか。

自分の中に閉じるのか。

それとも、神に向き直り、

気づきの立ち上がる場所にいるのか。


ヨブは、自分を問い始めた。

6章では自分の正しさを説明していたのに、

10章で、説明が崩れていく。


立てる場所が、なくなっていく。

神に近づいているのかもしれないのに。


神は、まだ沈黙していた。

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