理由が見えないとき、あなたはどこにいるのか
- より子 逆瀬川
- 4月14日
- 読了時間: 2分
ヨブ記2章
ヨブはすべてを失ったあと、さらに体に重い病を負う。
足の裏から頭のてっぺんまで、苦しみに覆われる。
妻は言う。「神をのろって死になさい。」
ヨブは答える。
「私たちは神から幸いを受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」
理由は示されない。出来事だけが続く。
ここでも問われているのは理由ではない。位置である。
なぜここまで続くのか。どこで終わるのか。
説明はない。
外側の状況はさらに悪化する。前章よりも深いところまで崩れる。
それでもヨブの言葉は変わる。神との関係の中に留まっている。
理解できるからではない。納得したからでもない。
理由が見えないまま、立つ場所だけが保たれている。
人は理由が見えないと、
不安定になる。説明を求める。意味を探す。
しかし理由はすぐには与えられないことがある。
そのとき、人は二つに分かれる。
理由の中に立とうとするか。
神の前に立とうとするか。
ヨブは理由を持たなかった。
それでも、神の前から離れなかった。
理由が見えないとき、あなたはどこにいるのか。
説明の中か。

神の前か。
ヨブ記の中心は
「視点の問題」ではなく
「視点が崩れる瞬間」
この揺れの記録を、これから一つずつ見ていく。



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