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理由が見えないとき、あなたはどこにいるのか

ヨブ記2章


ヨブはすべてを失ったあと、さらに体に重い病を負う。

足の裏から頭のてっぺんまで、苦しみに覆われる。

妻は言う。「神をのろって死になさい。」

ヨブは答える。

「私たちは神から幸いを受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」

理由は示されない。出来事だけが続く。


ここでも問われているのは理由ではない。位置である。

なぜここまで続くのか。どこで終わるのか。

説明はない。

外側の状況はさらに悪化する。前章よりも深いところまで崩れる。

それでもヨブの言葉は変わる。神との関係の中に留まっている。

理解できるからではない。納得したからでもない。

理由が見えないまま、立つ場所だけが保たれている。


人は理由が見えないと、

不安定になる。説明を求める。意味を探す。

しかし理由はすぐには与えられないことがある。

そのとき、人は二つに分かれる。

理由の中に立とうとするか。

神の前に立とうとするか。

ヨブは理由を持たなかった。

それでも、神の前から離れなかった。


理由が見えないとき、あなたはどこにいるのか。

説明の中か。


理由がなくても 離れないヨブ
理由がなくても 離れないヨブ

神の前か。


ヨブ記の中心は

「視点の問題」ではなく

「視点が崩れる瞬間」


この揺れの記録を、これから一つずつ見ていく。

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