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わが子よ(箴言2章)
箴言2章冒頭は、 「わが子よ」 知恵でもなく、 悟りでもなく、 説明でもなく、 呼びかけで始まる。 知識を受け取る前に語られる呼びかけ。 ここから、 耳を傾けること、 心を傾けること、 呼び求めること、 捜しもとめることが語られていく。 それは、 語られることばを 受け取るような姿勢にも見える。 『 そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、 神の知識を見出すようになる。 』(箴言2:5) 知識を語られる前に わが子よ と、呼びかけから始まる。 その呼びかけに、耳を傾けているだろうか。 わが子よ
Yoriko Sakasegawa
1 日前読了時間: 1分


主を恐れることは知識のはじめである(箴言1章)
今日から箴言を読み始める。 冒頭、 「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1:7) が置かれる。 箴言は知恵の書と呼ばれている。 だから、知識や知恵についての話が始まるのかと思いきや、 最初に語られるのは、 「主を恐れること」 知識の話の前に、立つ場所が語られる。 知識を持つ前に、 立ち位置を確認させられるよう。 誰の声に耳を傾けるのか。 これが箴言の始まりなのか。 ヨブも友人たちも多くを語った。 問いがあり、 考えぬき、 議論を続けた。 しかし、最後に残ったのは、 人の知恵の大きさではなく、 主が語られるという事実。 「主を恐れることは知識のはじめである」 箴言は、知識のはじめ、出発点を語る。 主を恐れることが、知識のはじめだと。 聖書から知識を得る前に 理解を求める前に 箴言は、立つ場所を問う。 今、この時、 語られる主の前に立っているだろうか。 箴言は、立つ場所を問う。
より子 逆瀬川
2 日前読了時間: 1分


ヨブ記は、人を説明から神の語りの前へ導く書。
ヨブ記 総集編 ヨブは問い続けた。 なぜ苦しむのか。 なぜ神は沈黙されるのか。 なぜ正しい者が苦しむのか。 友人たちは説明した。 罪。 因果応報。 神の正しさ。 それぞれが、 神について語った。 ヨブもまた語った。 自分の正しさ。 苦しみ。 理解できない現実。 沈黙する神。 エリフは語った。 神はすでに語っておられる、と。 しかし最後に、 主ご自身が語られる。 嵐の中から。 主は、 苦しみの理由を説明されなかった。 世界の構造を整理されなかった。 因果関係を解き明かされなかった。 その代わりに、 問い返される。 「わたしが地の基を定めたとき、 あなたはどこにいたのか。」 (ヨブ記38章4節) 海。 光。 暗闇。 星。 獣。 レビヤタン。 主は、 世界を造られた方として語られる。 人は、 理解しようとする。 説明しようとする。 整理しようとする。 しかし主は、 まず人を御前へ立たせられる。 ヨブは、 すべてを理解したわけではなかった。 しかし、 主の前に立つ者となった。 「私はあなたのことを、 耳
より子 逆瀬川
3 日前読了時間: 2分


聞いていたつもりのとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記42章 ついにヨブが応答する。 「私はあなたのことを、 耳で聞いていました。 しかし今、 この目であなたを見ました。」 ヨブは長い間、 問い続けてきた。 苦しみの理由を求めた。 説明を求めた。 自分の正しさを語った。 友人たちも語り続けた。 正しさ。 因果応報。 神についての説明。 しかし最後に残ったのは、 説明ではなかった。 主ご自身だった。 ヨブは言う。 「耳で聞いていた。」 知識として。 理解として。 説明として。 しかし今、 主の前に立たされる。 ここで、 ヨブ記全体が閉じられる。 苦しみの理由は、 最後まで詳しく説明されない。 しかしヨブは、 主の前に立つ者となった。 人は、 神について聞くことができる。 説明を学ぶことができる。 理解を深めることもできる。 しかし、 主の前に立つことは、 別の出来事。 聞いていたつもりのとき、あなたはどこにいるのか。 知識の中にいるのか。 説明の中にいるのか。 それとも、 なお分からないまま、 主の前に立っているのか。 ヨブは、 すべてを理解したわけではない。 しかし、 主の前に立った。 「私は
より子 逆瀬川
4 日前読了時間: 2分


あなたはなお支配しようとするのか
ヨブ記41章 主はレビヤタンについて語られる。 巨大な海の獣。 人には捕らえられない存在。 力に満ち、 恐れを抱かせるもの。 主は問われる。 「あなたは釣り針でレビヤタンを引き出せるか。」 「これを従わせることができるか。」 人は、 理解したい。 支配したい。 管理したい。 自分の手の中に収めたい。 しかし主は、 人には制御できない存在を示される。 レビヤタンは、 人に従わない。 人の力では抑えられない。 恐ろしく、 近づきがたい。 それでもなお、 その存在もまた、 神の御手の中にある。 人は、 自分で扱えるものの中で 安心しようとする。 説明できるものだけを 受け入れようとする。 しかし主は、 「あなたが支配できない世界も わたしの支配の中にある。」 と示される。 あなたはなお支配しようとするのか。 自分で握ろうとしているのか。 理解できる範囲だけで 世界を測ろうとしているのか。 それとも、 自分では制御できない世界の中でも、 なお神を見上げているのか。 主は、 レビヤタンを通して語られた。 人には制御できないものがある。 人には理解しきれない
より子 逆瀬川
5 日前読了時間: 2分


あなたはなお神に言い返そうとするのか
ヨブ記40章 主はヨブに語られる。 「全能者と言い争う者は、神を正そうとするのか。」 ヨブは初めて口を閉ざす。 「私は小さい者です。 何とお答えできるでしょう。」 ヨブは苦しみの中で問い続けてきた。 自分の正しさを語った。 説明を求めた。 神に答えを求めた。 しかし今、主の語りの前で、ヨブは立ち止まる。 主はさらに問われる。 「あなたは、わたしを不義とするのか。 自分を義とするために、わたしを罪ある者とするのか。」 ヨブはまだ苦しみの理由を知らない。 説明は与えられていない。 しかし主の前で、 自分の小ささを知り始めている。 あなたはなお神に言い返そうとするのか。 自分の正しさを握りしめているのか。 それとも、答えを持たないまま、 なお神の前に立っているのか。 主は、ヨブを押しつぶすためではなく、 御前に立たせるために語られた。 ヨブは、説明を受ける前に、 自分の小ささを知り始めた。 「私は小さい者です。何とお答えできるでしょう。」 私は小さい者です。何とお答えできるでしょう。
より子 逆瀬川
6 日前読了時間: 1分


見えない世界を見ようとするとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記39章 主はなお語られる。 しかし、 苦しみの理由は説明されない。 その代わりに、 主は生き物たちについて語られる。 山やぎ。 雌鹿。 野ろば。 野牛。 だちょう。 馬。 鷲。 それぞれが、 人の支配を超えて生きている。 人の理解を超えたところで、 命は動いている。 主は問われる。 「あなたは知っているのか。」 「あなたは見ることができるのか。」 「あなたはこれを支配できるのか。」 人は、 世界を理解しようとする。 説明しようとする。 管理しようとする。 しかし主は、 人の手に収まらない命の世界を示される。 野ろばは、 人に仕えない。 野牛は、 人のために働こうとしない。 だちょうは、 愚かに見える。 しかし、 なお命を与えられている。 人は、 役に立つかどうかで 物事を測ろうとする。 理解できるかどうかで 価値を決めようとする。 しかし主は、 人の理解の外にも、 なお世界が広がっていることを示される。 見えない世界を見ようとするとき、あなたはどこにいるのか。 理解できるものだけを見ているのか。 自分の尺度で測っているのか。 それとも、 理
より子 逆瀬川
5月24日読了時間: 2分


どこにいたのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記38章 ついに主が語られる。 嵐の中から。 ヨブは問い続けてきた。 なぜ苦しむのか。 なぜ答えてくださらないのか。 なぜ正しい者が苦しむのか。 友人たちは説明し続けた。 罪。 因果応報。 神の正しさ。 エリフは語った。 神はすでに語っておられる、と。 しかしついに、 主ご自身が語られる。 「知識もなく言葉をもって、 摂理を暗くするこの者はだれか。」 主は、 ヨブの問いに 説明で答えられない。 苦しみの理由を語られない。 その代わりに、 問い返される。 「わたしが地の基を定めたとき、 あなたはどこにいたのか。」 ここで、 ヨブ記全体の視点が変わる。 人は、 苦しみを理解しようとする。 神について説明しようとする。 言葉を整理し、 答えを見出そうとする。 しかし主は、 まずヨブを御前に立たせられる。 海。 光。 暗闇。 星。 大地。 主は、 世界を造られた方として語られる。 人は、すべてを理解してから 神の前に立とうとする。 しかし神の大きさは、 人の理解の中には収まらない。 あなたはどこにいたのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか。 説明
より子 逆瀬川
5月23日読了時間: 2分


嵐の声を聞くとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記37章 エリフは最後に、嵐について語る。 雷鳴。 稲妻。 吹き荒れる風。 凍るような寒さ。 自然の力の前で、人は立ち尽くす。 エリフは言う。 「これを聞け、ヨブよ。 立ち止まって、神の不思議なみわざを考えよ。」 人は、理解しようとして動き回る。 説明を求める。 答えを急ぐ。 しかしエリフは、「立ち止まれ」と言う。 神の御業は、人の理解を超えている。 人は、すべてを理解してから神の前に立とうとする。 しかし神の大きさは、人の理解の中には収まらない。 嵐の声を聞くとき、あなたはどこにいるのか。 説明を探しているのか。 理解を完成させようとしているのか。 それとも、分からないまま、 神を見上げているのか。 エリフは、嵐の中に神の大いなる御業を見た。 「立ち止まって、神の不思議なみわざを考えよ。」 やがて、嵐の中から、主ご自身が語られる。 立ち止まって、神の不思議なみわざを考えよ。
より子 逆瀬川
5月22日読了時間: 1分


嵐の中に神を見上げるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記36章 エリフはなお語り続ける。 「もうしばらく待て。 私はなお、神について語ろう。」 エリフは、 神は偉大である。 神は正しい。 神は苦しみを通して語られる。 と語る。 苦しみは、 ただの罰ではない。 神は苦しみを通して、 人の耳を開かれることがある。 やがてエリフの視線は、嵐へと向かう。 雲 雨 雷 稲妻 自然の力の中に、 神の大いなる働きを見る。 人は、理解できない出来事に出会う。 なぜこの苦しみなのか。 なぜ今なのか。 なぜ答えがないのか。 しかしエリフは言う。 神の御業は大きい。 私たちはそのすべてを知ることができない。 嵐の中に神を見上げるとき、あなたはどこにいるのか。 理解しようとしているのか。 説明を求めているのか。 それとも、 理解を超えたまま、 神の大きさを見上げているのか。 エリフは、 苦しみの中にも 神の語りがあることを語った。 雲と雷の向こうに、 神の大いなる御業を見つめた。 理解できない時にも、 神はなお語っておられる。 理解できなくても、神の語りは嵐の中で続いている。
より子 逆瀬川
5月21日読了時間: 1分


神に何の益があるのかと問うとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記35章 エリフはヨブに語る。 「あなたが正しくても、 神に何を与えることができるのか。」 「あなたが罪を犯しても、 神に何の害を与えることができるのか。」 エリフは、神の完全さを語る。 神は、 人の善によって豊かにならず、 人の罪によって損なわれない。 神は、人によって左右される方ではない。 人は時に思う。 自分の正しさは何の意味があるのか。 祈っても何も変わらない。 神にとって、自分の応答に意味はあるのか。 しかしここで問われているのは、 神に益があるかどうか ではなく、 かみが語っているかどうか である。 神は完全である。 だからこそ、 人の応答によって 神の存在価値が増減することはない。 しかし、 神が語られるなら、 人の本分は応答することである。 神に何の益があるのかと問うとき、あなたはどこにいるのか。 結果を求めているのか。 意味を測っているのか。 それとも、 神が語られるゆえに、 応答しているのか。 神は、 人の善によって豊かにならない。 人の罪によって損なわれない。 それでも、 神は語られる。 そして、 人としての本分は、
より子 逆瀬川
5月20日読了時間: 1分


神は正しいと語るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記34章 エリフは語る。 神は決して悪を行わない 全能者は不正をなさらない 人の行いに応じて報いられる エリフは、 神の正しさを強く擁護する。 神が間違うことはない。 これは聖書全体において重要な真理。 問題は、 真理を語ることと、 真理の前に立つことは 同じではないということ。 人は、神の正しさを語りながら、 なお自分の理解の中にとどまることがある。 神は正しいと語るとき、あなたはどこにいるのか。 正しい教理を語っているのか。 それとも、理解を超えてなお、 神の前に立っているのか。 エリフは、 神の正しさを語った。 その言葉は真実。 しかし、真理を語ることと、 神の前に立つことは同じではない。 言葉は届く。しかし、神の前に立つのは、あなた自身だ。
より子 逆瀬川
5月19日読了時間: 1分


沈黙だと思っていた場所で、神はすでに語っておられた
ヨブ記33章 エリフはヨブに語る。 「神は一度、二度と語られる。 しかし人はそれに気づかない。」 ここでヨブ記全体の視点が大きく転換する。 ヨブは問い続けてきた。 なぜ苦しむのか。 なぜ答えてくださらないのか。 なぜ沈黙しておられるのか。 友人たちは説明した。 苦しみには原因がある。 正しい者は報われる。 悪い者は裁かれる。 どちらも、人間の側からの語りだった。 エリフは言う。 「神は語っておられる。」 問題は、神が語っていないことではなく、 人が気づいていないこと。 夢の中で。 痛みを通して。 御使いを通して。 神はすでに語っておられる。 沈黙だと思っていた場所で、 神はすでに語っておられた。 あなたはどこにいるのか。 神が語っていないと思っているのか。 それとも、すでに語られている言葉の前に 立っているのか。 エリフは宣言する。 「神は一度、二度と語られる。」 問題は神の沈黙ではなく、 人が気づかないことだった。 沈黙に見える時にも、 神の語りはすでに始まっている。 沈黙に見える時にも、神の語りはすでに始まっている。
より子 逆瀬川
5月18日読了時間: 1分


語らずにはいられないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記32章 エリフが登場する。 ヨブが自分を義としたことに怒り、 友人たちが答えられなかったことにも怒る。 長く黙って聞いていた。 しかし、ついに語り始める。 「私の内には言葉が満ちている。」 「語らずにはいられない。」 人は、語るべきだと感じるとき、 沈黙していられなくなる。 しかし問われるのは、 何を語るのか、ではなく、 どこから語るのか、である。 自分の熱心から語るのか。 神から語るのか。 語らずにはいられないとき、あなたはどこにいるのか。 自分の熱心の中にいるのか。 それとも、神の前に立って語るのか。 エリフは、内に満ちた言葉を語り始めた。 語らずにはいられない熱心と、 神からの語りは同じではない。 神は、まだ沈黙している。 語らずにはいられない熱心と、神からの語りは同じではない。
より子 逆瀬川
5月17日読了時間: 1分


自分の正しさを証明しようとするとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記31章 ヨブは長い自己弁明を行う。 もし不正をしたなら。 もし人を欺いたなら。 もし貧しい者を見捨てたなら。 その報いを受けてもよい、と語る。 ヨブはここで、 自分は正しく生きてきたことを徹底して語る。 苦しみのただ中で、 自分の潔白を証明しようとしている。 人は、誤解されるとき、 自分を分かってほしいと思う。 正しさを認めてほしいと思う。 しかしその証明は、 誰に向けられているのか。 自分の正しさを証明しようとするとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の正しさを主張するのか。 それとも、証明を手放して、 神の前に立つのか。 ヨブは、 自分の正しさを徹底して語った。 ヨブは、 何を固く握りしめているのか。 神は、まだ沈黙している。 ヨブは何を固く握りしめているのか。
より子 逆瀬川
5月16日読了時間: 1分


あの頃はよかったと思うとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記30章 29章で過去の栄光を語ったヨブは、 30章で現在の現実を語る。 若者たちに笑われる。 尊厳を失う。 痛みに苦しむ。 神が遠く感じられる。 過去と現在の落差が露わになる。 あの頃は良かった。 尊ばれていた。 守られていた。 今は侮られ、苦しみ、神が答えない。 ヨブは、自分の現実を隠さない。 人は、過去を思い出すほど、 今の痛みを強く感じる。 あの頃はよかったと思うとき、あなたはどこにいるのか。 過去にとどまるのか。 それとも、失われた現在のまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、過去の栄光と現在の痛みを並べて語った。 過去の輝きが強いほど、 現在の痛みは深く感じられる。 神は、なお沈黙している。 過去の輝きが強いほど、現在の痛みは深く感じられる。
より子 逆瀬川
5月15日読了時間: 1分


失った日々を振り返るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記29章 ヨブは過ぎ去った日々を回想する。 神の灯が頭の上に輝いていた。 尊敬されていた。 貧しい者を助けていた。 正義を行っていた。 ヨブは、かつての自分を振り返る。 神に守られていた。 人に尊ばれていた。 良い行いをしていた。 その記憶は、失われた現在との対比になる。 人は、過去を振り返るとき、 「あの頃は良かった」と思う。 しかしその回想の中に、 自分の正しさの記憶がある。 神がしてくださったことよりも、 自分がしていたことが前に出てくる。 失った日々を振り返るとき、あなたはどこにいるのか。 過去の栄光の中にいるのか。 何を中心に語るのか。 それとも、失われた現在のまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、かつての日々を思い起こす。 神の恵みとともに、 自分の正しさの記憶もある。 神がしてくださったことか、 自分がしていたことか。 その境界線は、気づかないほど薄い。 神は、まだ沈黙している。 神の恵みか、自分の正しさか。その境界線は気づかないほど薄い。
より子 逆瀬川
5月14日読了時間: 1分


知恵を探すとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記28章 「知恵はどこで見つかるのか。」 「その場所を知るのは神だけである。」 人は地の深くまで掘り進み、 宝を見つける。 しかし、知恵はそのようには見つからない。 人は掘る。 探す。 見つける。 銀の場所を知り、 金を精錬する。 しかし知恵の場所は、 人には分からない。 知恵は、努力や技術では手に入らない。 最後に語られる。 「主を恐れること、それが知恵である。」 知恵を探すとき、あなたはどこにいるのか。 見つけようとしているのか。 それとも、すでに語られている言葉の前に 立っているのか。 人は多くのものを掘り当てる。 しかし知恵の場所は、 神だけが知っている。 知恵は見つけるものではなく、 神の前で受け取るもの。 「主を恐れること、それが知恵である。」 神は、まだ沈黙している。 知恵は見つけるものではなく、神の前で受け取るもの。
より子 逆瀬川
5月13日読了時間: 1分


なお自分の正しさを握るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記27章 ヨブは語り続ける。 「私は自分の正しさを手放さない。」 「私の良心は私を責めない。」 ヨブはなお、自分の正しさを保持している。 ヨブは明確に語る。 自分は間違っていない。 正しさを手放さない。 良心は責めない。 苦しみの中でも、 自分の正しさは残っている。 人は、すべてを失っても、 最後まで手放せないものがある。 「自分は正しい」という確信。 なお自分の正しさを握るとき、あなたはどこにいるのか。 自分の正しさを守るのか。 それとも、その手を開いて、 神の前に立つのか。 ヨブはなお、自分の正しさを手放さなかった。 すべてを失っても、 最後まで手放せないものがある。 「自分は正しい」という確信。 その手は、まだ閉じられている。 神は、まだ沈黙している。 その手は、まだ閉じられている。
より子 逆瀬川
5月12日読了時間: 1分


支えているつもりのとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記26章 ヨブが応答する。 「力のない者を、あなたは何と助けてくれたことか。」 「何とすばらしい助言をしてくれたことか。」 ヨブは皮肉を込めて語る。 友人たちは、 助けるつもりで語って来た。 正しい言葉。 神学的に整った説明。 それだけでは、 ヨブを支えることができない。 ヨブは言う。 「どれほど助けてくれたことか。」 この言葉には、 深い皮肉がある。 人は、 助けるつもりで、 正しいことばを浴びせかける。 多くの場合、 苦難の中では、痛さでしかない。 言葉が正しくても、 人を支えるとは限らない。 支えているつもりのとき、あなたはどこにいるのか。 自分の正しさの中にいるのか。 それとも、 相手とともに 神の前に立っているのか。 ヨブは、 友人たちの「助け」を皮肉った。 正しい言葉はあった。 しかし、 支えにはならなかった。 神は、まだ沈黙している。 正しい言葉が、人を支えるとは限らない。
より子 逆瀬川
5月11日読了時間: 1分
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