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正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。


赤いマグカップから湯気が立ち上り、色とりどりの花々が朝の光の中に広がるテラスの風景。
正しさの中で、それでも朝はくる。

ヨブ記8章。

ビルダドが語り始める。


「神は正義を曲げるだろうか。」

「もしあなたが正しければ、回復するはずだ。」


苦しみには理由がある。それは人の側にある。

正しさが、はっきりと語られる。


ビルダドの言葉は、強い。

正しいか、正しくないか。

どちらかで判断する。

神は正しい。だから、結果も正しい。

この構造は、揺れない。


しかし、ヨブの現実は、この枠に収まらない。

正しさが明確になるほど、

現実との距離が広がっていく。


人は、正しさを求める。

正しいと分かれば、安心できると思うから。

しかし、正しさが人を支えるとは限らない。


ヨブは、なお語っている。

神に向かって語っている。

周りでは、正しさが語られている。


ヨブの内側は揺れていく。

応答は消えていない。

しかし、その向きが揺れている。


人は、説明だけでなく、

正しさにもとどまろうとする。

答えを握っていれば、

迷わなくて済むと思うから。


正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。

人の正しさにとどまるのか。

それとも、神に向き直り、

気づきの立ち上がる場所にいるのか。


ビルダドは、正しさを語り、

ヨブは、その正しさの中に立たされている。


神は、まだ語られない。


正しさは明確にするが、語りは位置を問う

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