正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。
- より子 逆瀬川
- 4月20日
- 読了時間: 2分

ヨブ記8章。
ビルダドが語り始める。
「神は正義を曲げるだろうか。」
「もしあなたが正しければ、回復するはずだ。」
苦しみには理由がある。それは人の側にある。
正しさが、はっきりと語られる。
ビルダドの言葉は、強い。
正しいか、正しくないか。
どちらかで判断する。
神は正しい。だから、結果も正しい。
この構造は、揺れない。
しかし、ヨブの現実は、この枠に収まらない。
正しさが明確になるほど、
現実との距離が広がっていく。
人は、正しさを求める。
正しいと分かれば、安心できると思うから。
しかし、正しさが人を支えるとは限らない。
ヨブは、なお語っている。
神に向かって語っている。
周りでは、正しさが語られている。
ヨブの内側は揺れていく。
応答は消えていない。
しかし、その向きが揺れている。
人は、説明だけでなく、
正しさにもとどまろうとする。
答えを握っていれば、
迷わなくて済むと思うから。
正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。
人の正しさにとどまるのか。
それとも、神に向き直り、
気づきの立ち上がる場所にいるのか。
ビルダドは、正しさを語り、
ヨブは、その正しさの中に立たされている。
神は、まだ語られない。
正しさは明確にするが、語りは位置を問う



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