top of page
All Posts


正しくあり得るのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記25章 ビルダドの最後の言葉。 「人はどうして神の前に正しくあり得るのか。」 「月も輝かず、星も清くない。」 神の大きさと、人の小ささが語られる。 ビルダドの結論は単純である。 神は大いなる方。 人は小さい。 人は正しくなれない。 この言葉自体には、一定の真実がある。 しかし問題は、 その言葉がヨブに向けられていることである。 人は、自分の小ささを知るとき、沈黙する。 しかしその沈黙が、 神の前の沈黙なのか。 人を押しつぶす沈黙なのか。 は別である。 正しくあり得るのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか。 自分の小ささの中に閉じるのか。 それとも、その小ささのまま、 神の前に立つのか。 ビルダドは、人の小ささを語った。 その言葉は真実を含む。 しかしそれは、 ヨブを神の前に立たせる言葉にはならなかった。 真実な言葉でも、 人を神の前に立たせるとは限らない。 神は、まだ沈黙している。 真実な言葉でも、人を神の前に立たせるとは限らない。
より子 逆瀬川
5月10日読了時間: 1分


沈黙を続ける神に苛立ちを覚えるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記24章 苛立ちをそのまま、神の前に持っていく。 ヨブが語る。 「なぜ全能者は時を定めておられないのか。」 「悪しき者は境界を動かす。」 不正が行われている。 弱い者が苦しめられている。 しかし、裁きは見えない。 なぜ止めないのか。 なぜ見ておられるだけなのか。 不正は続いている。 弱い者は苦しんでいる。 神は、沈黙している。 ヨブは、その苛立ちを神に向けて語り続ける。 不満を飲み込まない。 黙らない。 神の沈黙への苛立ちを、 そのまま神に向けて語っている。 沈黙を続ける神に苛立ちを覚えるとき、あなたはどこにいるのか。 苛立ちを抱えたまま、 神から離れるのか。 それとも、その苛立ちごと、 神の前に立つのか。 ヨブは、不正の現実を見ていた。 神は、沈黙していた。 しかしヨブは、 神の沈黙への苛立ちを、 なお神に向かって語り続けた。 神は、まだ沈黙している。
より子 逆瀬川
5月9日読了時間: 1分


神が見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記23章 ヨブが語る。 「前に進んでも、神はおられない。」 「後ろにいても、見ることができない。」 ヨブは、神を探している。 沈黙が深くなる。 神に向かっている。 探している。 見えない神を探している。 人は、神が見えないとき、 不安になる。 どこにいるのか。 聞かれているのか。 見つけようとする。 確かめようとする。 やはり、見えてこない。 ヨブは言う。 「神は私の道を知っておられる。」 ここで何かが変わる。 自分は、神を見つけようとしていた。 しかし、すでに知られている。 探している自分、 初めから見ておられる神。 ほとんどの人は、この方向に気づかない。 神を探しているのに、 見られていることを知らないでいる。 ヨブは、ようやく見られていることに気づき始める。 神が見えないとき、あなたはどこにいるのか。 見つけようとしているのか。 それとも、すでに知られている場所に、 立っているのか。 ヨブは、神を探していた。 見えなかった。 しかし語った。 「神は私の道を知っておられる。」 探しているのは自分。 すでに見ておられる神。 探しているのは自
より子 逆瀬川
5月8日読了時間: 1分


神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記22章 エリファズが再び語る。 「人が正しくても、神に益があるだろうか。」 「あなたの悪は大きいのではないか。」 ヨブに対して、罪を断定し始める。 ここで視点が変わる。 正しさは、神のためになるのか。 人の行いは、神に影響を与えるのか。 人は、自分の正しさを価値として持とうとする。 正しいこと。 正しく生きること。 それが意味を持つと思うから。 しかし、それを神に向け始めるとき、 正しさは取引のようになる。 エリファズは、ヨブの苦しみを見て、 原因を探し、罪を当てはめる。 正しさを神への取引にしているのは、 エリファズ自身かもしれない。 神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか。 正しさを神への取引にしているのか。 それとも、その手を開いて、 神の前に立つのか。 エリファズは、罪を断定した。 正しさを神に向けるとき、 それは応答ではなく、取引になる。 神は、まだ沈黙している。 正しさを神に向けるとき、それは応答か、取引か。
より子 逆瀬川
5月6日読了時間: 1分


報われないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記21章 ヨブが語る。 「なぜ悪者が生き長らえ、力を増すのか。」 「彼らの家は安らかで、恐れがない。」 悪しき者が栄えている現実が語られる。 友人の論理が崩れる。 悪い者は滅びる。 正しい者は守られる。 人は、正しければ報われると思っている。 悪ければ裁かれると思っている。 現実は、 その通りにはならない。 ヨブは現実を見ている。 友人の論理を崩している。 しかし、その問いかけが、 自分は正しいから報われるべき、 という前提から出ている。 報われないとき、あなたはどこにいるのか。 自分は正しいから救われるべき、 という前提を握りしめるのか。 ヨブは、現実を見ていた。 正しい者が報われない。 悪しき者が栄えている。 この問いは、 自分は正しいから報われるべき、 という思い込みから出ていた。 気が付かないまま。 神は、まだ沈黙している。 気が付かないまま、思い込み中にいる。
より子 逆瀬川
5月5日読了時間: 1分


いのちの日数が語られるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記20章 ツォファルが再び語る。 「悪者の喜びは短い。」 「その楽しみは一瞬にすぎない。」 悪しき者の繁栄は続かないと語られる。 時が強調される。 今は栄えていても、 すぐに終わる。 いのちの日数が語られる。 人は、今を見て判断する。 うまくいっている。 苦しんでいる。 そこから結論を出そうとする。 そのまま、 ヨブに当てはめられていく。 時で人を測るとき、 神の視点ではなく、 人の概念に偏る 今が良ければ正しい。 今が悪ければ裁かれている。 その枠組みでは、 ヨブの現実は見えない。 ひとときの喜びが語られるとき、あなたはどこにいるのか。 人生という枠組みの中で、 自分を測り、 他者を裁量しているのか。 ツォファルは、 霧のように儚い人の齢を語る。 神が与えたいのちの日数を ヨブに向けて裁く。 神は、まだ沈黙している。 霧のように儚い、神が与えたいのちの日数。
より子 逆瀬川
5月3日読了時間: 1分


それでも望むとき、あなたはどこにいるのかヨブ記19章
ヨブ記19章 ヨブが語る。 「いつまで私を苦しめるのか。」 「私の近しい者も私を見捨てた。」 人も離れ、 言葉も届かない。 ヨブは、孤立している。 すべてが離れていく。 人。 支え。 理解。 残るものがない。 しかしヨブは言う。 「私は知っている。 私の贖い主は生きている。」 すべてが崩壊する中で、 なお語られる言葉がある。 説明でもなく、 弁明でもなく、 知識でもない。 失いつくした場所から出て来る ただ一つの言葉。 「私は知っている。 私の贖い主は生きている。」 何が、この言葉を語らせているのか。 それでも望むとき、あなたはどこにいるのか。 理解されない。 見捨てられている。 それでも神に向かう。 人の信頼も、支えも、理解も 失ったヨブ。 最後の最後に神にたどり着く。 その姿は 敬虔なようで、 実は、 自分の正しさを証明して欲しいからなのではないのか。 神は、沈黙を続けている。 神は沈黙を続けている
より子 逆瀬川
5月2日読了時間: 1分


光が消えるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記18章 結論が先にあるとき、見えているのは相手ではなく、自分の枠かもしれない。 ビルダドが再び語る。 「悪者の光は消える。」 「そのともしびは消え失せる。」 悪しき者の結末が語られる。 結論が先に語られる。 悪い者は滅びる。 光は消える。 結果は明確である。 人は、結論を求める。 どうなるのか。 どこへ行くのか。 それが分かれば、 安心できると思うから。 しかしその結論は、 ヨブの現実に重ねられていく。 ビルダドは、結末を知っている。 しかしその結末は、 自分の正しさから出ている。 結論が先にあるとき、 見えているのは相手ではなく、 自分の枠かもしれない。 光が消えるとき、あなたはどこにいるのか。 他者の結論の中に、 自分を当てはめているのか。 それとも、その結論の外で、 神の前に立つのか。 ビルダドは、結末を語った。 ヨブは、その結論の中に置かれている。 結論が先にあるとき、 見えているのは相手ではなく、 自分の枠かもしれない。 神は、まだ沈黙している。
より子 逆瀬川
5月1日読了時間: 1分


望みが見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記17章 ヨブが語る。 「私の霊は衰え、私の日は尽きた。」 「墓だけが私を待っている。」 ヨブは、終わりを見ている。 希望が語られない。 先がある。 回復がある。 その言葉が見えない。 人は、望みが見えないとき、 前に進めなくなる。 どこへ行くのか。 何を待つのか。 その問いが、空白になる。 ヨブは、終わりしか見えていない。 墓だけが待っている、と言う。 それでも、語ることをやめていない。 望みが見えないまま、 神に向かって語り続けている。 望みがないとき、 何が人を語らせるのか。 望みが見えないとき、あなたはどこにいるのか。 終わりの中にとどまるのか。 それとも、望みが見えないまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、終わりを見ていた。 しかし、なお語っていた。 望みがない。 先が見えない。 墓だけが待っている。 何が人を語らせるのか。 それでも、語ることをやめなかった。 何が、ヨブを語らせているのか。 神は、まだ沈黙している。 望みが見えないとき、それでも言葉は出てくる。
より子 逆瀬川
4月30日読了時間: 1分


慰められないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記16章 ヨブが語る。 言葉はあった。しかし、届かなかった。 「あなたがたは皆、慰めるどころか苦しめる者だ。」 「むなしい慰めの言葉ばかりだ。」 ヨブは、友人たちの言葉を退ける。 言葉はある。 慰めの言葉。 正しい言葉。 しかし、それが届かない。 人は、苦しむ人に言葉をかける。 支えたい。 助けたい。 しかし、その言葉が、 逆に重くなることがある。 慰めが、慰めにならない。 正しい言葉が、なぜ届かないのか。 言葉の中身の問題ではない。 言葉を語る者が、 どこから語っているかの問題かもしれない。 自分の正しさから語られた言葉は、 苦しみの中にいる者には届かない。 慰められないとき、あなたはどこにいるのか。 人の言葉にとどまるのか。 それとも、言葉が届かない場所で、 そのまま神の前に立つのか。 ヨブは、慰めを受けなかった。 言葉はあった。 しかし、届かなかった。 正しい言葉が届かないとき、 問われているのは言葉ではなく、 語る者の立ち位置かもしれない。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月29日読了時間: 1分


語りを否定されるとき、あなたはどこにいるのか
語りは止められない。しかし、何を根拠に語っているのか。 ヨブ記15章 エリファズが再び語る。 「知恵ある者は空しい知識で答えるだろうか。」 「あなたの語りは、恐れを失わせる。」 ヨブの言葉そのものが否定される。 内容ではなく、 語りそのものを問いただされる。 何を言ったかではなく、 語ること自体が問題とされる。 人は、自分の語りを否定されると、 立つ場所を失う。 間違っている。 語るべきではない。 そう言われると、 言葉が止まる。 しかし、止めることもできない。 ヨブは、なおも語り続け、 エリファズも、問い質し続ける。 どちらも、自分の正しさの中から語っている。 この根拠に、気づいていない。 人は、 自分の正しさを根拠に 語り続けていることを、気づかずにいる。 語りを否定されるとき、あなたはどこにいるのか。 どこを根拠に、語っているのか。 エリファズはヨブの語りを否定するが、 ヨブは語り続けた。 しかし、どちらの語りも、 自分の正しさから出ていた。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月28日読了時間: 1分


儚い いのちの中で、あなたはどこにいるのか
ヨブ記14章 雨の中でも、いのちは息づいている。 ヨブが語る。 「人は女から生まれ、日が短く、苦しみに満ちている。」 「花のように咲いて、しおれる。」 人のいのちは短い。 儚い。 ヨブは、その現実を見つめる。 人は、自分の儚さを知るとき、 立ち止まる。 ここまでしかない。 これ以上は進めない。 その感覚が、内側に広がる。 人は、続くことを求める。 終わらないこと。 失われないこと。 しかし、 目の前にあるのは、儚い いのちである。 ヨブは、なお神に向かって語っている。 弁明でもなく、知識でもなく、 ただ現実を見つめている。 「花のように咲いて、しおれる。」 その言葉に、 飾りがない。 儚い いのちを前にしたとき、 人は何を握っているのか。 儚い いのちの中で、 終わりの中にとどまるのか。 それとも、その儚さを持ったまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、儚い いのちを見ている。 飾らずに、 そのまま。 しかし、その先は見えていない。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月27日読了時間: 1分


正しさを手放せないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記13章 ヨブが語る。 「私は神に語りたい。」 「私は自分の道を神の前に弁明する。」 ヨブは、神に向かおうとする。 ヨブは、なお神を求めている。 逃げていない。 背を向けていない。 むしろ、近づこうとしている。 しかしその向かい方が、 弁明だった。 「私は正しい。」 「私は間違っていない。」 その言葉を手に、神の前に立とうとする。 神に近づきながら、 自分を証明しようとしている。 人は、正しさを持って、 神の前に立とうとする。 それがあれば、 受け入れられると思うから。 しかし、その正しさが、 手放せないものになる。 正しさを握ったままの手では 何も受け取れない。 正しさを手放せないとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の正しさにとどまるのか。 それとも、その手を開いて、 神の前に立つのか。 手を開くとき、受け取れるものがある。 ヨブは、神に近づこうとしている。 しかし、その向かい方は、弁明だった。 正しさを握る手では、 語りを受け取れない。 神は、まだ沈黙していた。
より子 逆瀬川
4月26日読了時間: 1分


分かっていると思うとき、あなたはどこにいるのか
知識は語る。しかし、光は別のところから差し込む。 ヨブ記12章 ヨブが応答する。 「あなたがたこそ民だ。知恵はあなたがたとともに死ぬだろう。」 「しかし、私にも心がある。」 ヨブは、友人の言葉に対して語る。 ヨブは言う。 自分も分かっている。 神の力。 神の働き。 それは知っている。 人は、分かっていると思うとき、 立場が強くなる。 理解している。 知っている。 その確信が、前に出る。 しかし、ヨブの知識は、 ヨブを支えていない。 神を知っている。 神の力も働きも語れる。 それでも、苦しみの中で、 その知識は何も握らせてくれない。 「知っている」と「支えられている」は、 別のことだった。 分かっていると思うとき、あなたはどこにいるのか。 知識の中にいるのか。 それとも、 その知識が届かない場所に、 立っているのか。 ヨブは知っていると語った。 神の力も、 神の働きも。 しかしその知識は、 ヨブを支えなかった。 神は、静かに見ていた。
より子 逆瀬川
4月24日読了時間: 1分


言い返されるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記11章 ツォファルが語り始める。 「多くの言葉に答えがないのか。」 「あなたの罪は、あなたが思うよりも軽く扱われている。」 ヨブの言葉に対して、 強く言い返す。 ツォファルの言葉は、鋭い。 語りすぎている。 間違っている。 そう言い切る。 人は、言い返されるとき、 立場を守ろうとする。 自分は間違っていない。 理解されていない。 その思いが強くなる。 しかし、言葉が重なるほど、 争いは深くなる。 ヨブは言い返さない。 恨まない。 それはヨブの敬虔の現われ。 しかし、その敬虔を、 ヨブは握りしめている。 神の言葉の中にいると、 思い込んでいる。 言い返されるとき、あなたはどこにいるのか。 自分の正しさを守るのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ツォファルからの糾弾を言い返さないヨブ。 敬虔なヨブ。 敬虔を握りしめているヨブ。 神の言葉の中にいると 信じているヨブ。 神はヨブを、静かに見ている。 沈黙の中で。 神は、沈黙の中で、静かに見ている。
より子 逆瀬川
4月23日読了時間: 1分


自分の説明が崩れるとき、あなたはどこにいるのか
言葉が尽きるとき、ペンは止まる。それでも、朝は来る。 ヨブ記10章 ヨブは語り続ける。 「私は自分のいのちをいとう。」 「なぜ私を造ったのか。」 ヨブは、自分自身を問い始める。 苦しみは外だけではない。 内側に入ってくる。 友人の言葉は届かなかった。 次にヨブは、自分に向かう。 なぜこうなったのか。 どこが間違っていたのか。 問いは、内側へと向かう。 人は苦しみの中で、自分を疑い始める。 自分が悪かったのか。 何かが足りなかったのか。 しかし、その問いは、 自分を閉じ込めていく。 ヨブは、なお神に向かって語っている。 しかしその語りは、 自分へと引き寄せられていく。 6章で、ヨブは自分の説明の中にいた。 10章で、その説明が崩れた。 「私は一度も神の言葉を拒まなかった」と言えたヨブが、 今は「なぜ私を造ったのか」と問うている。 説明が崩れたとき、 人は何に立てばいいか分からなくなる。 自分の説明が崩れるとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の中に閉じるのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ヨブは、自分
より子 逆瀬川
4月22日読了時間: 2分


正しさが届かないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記9章。 ヨブが応答する。 積まれた本と、その先の棚——言葉は、重なるほどに深くなる。 「確かに、その通りだ。」 「人は神の前でどうして正しくあり得るのか。」 神は大いなる方。 人は、その前に立つことができない。 ヨブは、神の大きさを認める。 神の正しさを、ヨブは否定していない。 しかし、 自分の正しさも、手放していない。 そして、その二つの間には、道がない。 否定でも、反抗でもない。 立ち往生している。 行き詰まっている。 人は、自分の正しさをもって、 神の前に立つことができない。 正しさはあるが、そこに道は見つからない。 人は、正しさで答えを出そうとする。 正しければ、進めると思うから。 残念ながら、神の前では通らない。 ヨブは、なお語っている。 神に向かって語っている。 その語りは、行き場を失い始めている。 語りは消えていない。 なのに、届かない。 同じことが、いま、人の内側で起きている。 人は、正しさを握ろうとする。 正しさがあれば、神に近づけると思うから。 しかし、それでは届かない。 この時、気づきが与えられる。 正しさが届かないと
より子 逆瀬川
4月21日読了時間: 2分


正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。
正しさの中で、それでも朝はくる。 ヨブ記8章。 ビルダドが語り始める。 「神は正義を曲げるだろうか。」 「もしあなたが正しければ、回復するはずだ。」 苦しみには理由がある。それは人の側にある。 正しさが、はっきりと語られる。 ビルダドの言葉は、強い。 正しいか、正しくないか。 どちらかで判断する。 神は正しい。だから、結果も正しい。 この構造は、揺れない。 しかし、ヨブの現実は、この枠に収まらない。 正しさが明確になるほど、 現実との距離が広がっていく。 人は、正しさを求める。 正しいと分かれば、安心できると思うから。 しかし、正しさが人を支えるとは限らない。 ヨブは、なお語っている。 神に向かって語っている。 周りでは、正しさが語られている。 ヨブの内側は揺れていく。 応答は消えていない。 しかし、その向きが揺れている。 人は、説明だけでなく、 正しさにもとどまろうとする。 答えを握っていれば、 迷わなくて済むと思うから。 正しさで語られるとき、あなたはどこにいるのか。 人の正しさにとどまるのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場
より子 逆瀬川
4月20日読了時間: 2分


終わりが見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記7章 ヨブは語り続ける 「人の一生は労苦ではないか。」 「夜は長く、苦しみは続く。」 横になっても、休めない。 朝を待つが、夜は終わらない。 ヨブは、終わりの見えない苦しみの中にいる。 苦しみが長く続くとき、 人は時間に押される。 いつまでなのか。 どこで終わるのか。 答えが見えないまま、 同じ時間が繰り返される。 人は、終わりを求める。 区切りがあれば、耐えられると思うから。 しかし、終わりが見えないとき、心は揺れ続ける。 ヨブは、なお語っている。 神に向かって、語り続けている。 しかしその語りは、少しずつ苦しみに引かれていく。 語りは消えていない。 ただ、その中心が揺れ始めている。 同じことが、いま、人の内側で起きている。 人は、理由を求める。 説明の中にとどまろうとする。 安心できると思うから。 説明が重なるほど、 神の語りから遠ざかる。 これでは、語りにとどまれない。 そのとき、神に向き直る。 そこに、気づきが与えられる。 終わりが見えないとき、あなたはどこにいるのか。 人の説明にとどまるのか。 それとも、神に向き直り、気づ
より子 逆瀬川
4月19日読了時間: 2分


自分を説明するとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ6章 ヨブが応答する。 「私の苦しみは量られるべきだ。」 「全能者の矢が私に刺さっている。」 ヨブは、自分の痛みを語る。 友人の言葉ではなく、 自分の現実をそのまま出す。 ヨブは、人の説明の中にいない。 しかし、自分の内側で語り始めている。 友人は語った。 意味がある。 やがて回復する。 人は、苦しみに理由をつけようとする。 そうすれば、世界が分かると思うから。 しかしヨブは言う。 それでは足りない。 今のこの重さは、 その言葉では届かない。 人は、分かってもらいたいと思う。 正しく理解されたい。 しかし、言葉が重なるほど、 距離が広がることがある。 ヨブは、分かってもらえなかった。 正しい言葉を受けた。 それでも、届かなかった。 言葉が重なるほど、 ひとりになっていく。 そのとき、 神に向き直る。 そこに、 気づきが与えられる。 自分を説明するとき、あなたはどこにいるのか。 人の説明を求め続けるのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ヨブは苦しみをそのまま語った。 神は、沈黙していた。 「私は一
より子 逆瀬川
4月18日読了時間: 2分
bottom of page