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神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか

ヨブ記22章


エリファズが再び語る。

「人が正しくても、神に益があるだろうか。」

「あなたの悪は大きいのではないか。」


ヨブに対して、罪を断定し始める。



ここで視点が変わる。


正しさは、神のためになるのか。

人の行いは、神に影響を与えるのか。


人は、自分の正しさを価値として持とうとする。


正しいこと。

正しく生きること。


それが意味を持つと思うから。


しかし、それを神に向け始めるとき、

正しさは取引のようになる。



エリファズは、ヨブの苦しみを見て、

原因を探し、罪を当てはめる。


正しさを神への取引にしているのは、

エリファズ自身かもしれない。



神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか。


正しさを神への取引にしているのか。

それとも、その手を開いて、

神の前に立つのか。



エリファズは、罪を断定した。


正しさを神に向けるとき、

それは応答ではなく、取引になる。


神は、まだ沈黙している。


図書館の本棚を背景に、木製のテーブルの上に積まれた本と開かれた一冊。柔らかなボケ光の中で。
正しさを神に向けるとき、それは応答か、取引か。

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