神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか
- より子 逆瀬川
- 5月6日
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ヨブ記22章
エリファズが再び語る。
「人が正しくても、神に益があるだろうか。」
「あなたの悪は大きいのではないか。」
ヨブに対して、罪を断定し始める。
ここで視点が変わる。
正しさは、神のためになるのか。
人の行いは、神に影響を与えるのか。
人は、自分の正しさを価値として持とうとする。
正しいこと。
正しく生きること。
それが意味を持つと思うから。
しかし、それを神に向け始めるとき、
正しさは取引のようになる。
エリファズは、ヨブの苦しみを見て、
原因を探し、罪を当てはめる。
正しさを神への取引にしているのは、
エリファズ自身かもしれない。
神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか。
正しさを神への取引にしているのか。
それとも、その手を開いて、
神の前に立つのか。
エリファズは、罪を断定した。
正しさを神に向けるとき、
それは応答ではなく、取引になる。
神は、まだ沈黙している。



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