正しくあり得るのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか
- より子 逆瀬川
- 5月10日
- 読了時間: 1分
ヨブ記25章
ビルダドの最後の言葉。
「人はどうして神の前に正しくあり得るのか。」
「月も輝かず、星も清くない。」
神の大きさと、人の小ささが語られる。
ビルダドの結論は単純である。
神は大いなる方。
人は小さい。
人は正しくなれない。
この言葉自体には、一定の真実がある。
しかし問題は、
その言葉がヨブに向けられていることである。
人は、自分の小ささを知るとき、沈黙する。
しかしその沈黙が、
神の前の沈黙なのか。
人を押しつぶす沈黙なのか。
は別である。
正しくあり得るのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか。
自分の小ささの中に閉じるのか。
それとも、その小ささのまま、
神の前に立つのか。
ビルダドは、人の小ささを語った。
その言葉は真実を含む。
しかしそれは、
ヨブを神の前に立たせる言葉にはならなかった。
真実な言葉でも、 人を神の前に立たせるとは限らない。
神は、まだ沈黙している。




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