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光が消えるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記18章 結論が先にあるとき、見えているのは相手ではなく、自分の枠かもしれない。 ビルダドが再び語る。 「悪者の光は消える。」 「そのともしびは消え失せる。」 悪しき者の結末が語られる。 結論が先に語られる。 悪い者は滅びる。 光は消える。 結果は明確である。 人は、結論を求める。 どうなるのか。 どこへ行くのか。 それが分かれば、 安心できると思うから。 しかしその結論は、 ヨブの現実に重ねられていく。 ビルダドは、結末を知っている。 しかしその結末は、 自分の正しさから出ている。 結論が先にあるとき、 見えているのは相手ではなく、 自分の枠かもしれない。 光が消えるとき、あなたはどこにいるのか。 他者の結論の中に、 自分を当てはめているのか。 それとも、その結論の外で、 神の前に立つのか。 ビルダドは、結末を語った。 ヨブは、その結論の中に置かれている。 結論が先にあるとき、 見えているのは相手ではなく、 自分の枠かもしれない。 神は、まだ沈黙している。
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5月1日読了時間: 1分


望みが見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記17章 ヨブが語る。 「私の霊は衰え、私の日は尽きた。」 「墓だけが私を待っている。」 ヨブは、終わりを見ている。 希望が語られない。 先がある。 回復がある。 その言葉が見えない。 人は、望みが見えないとき、 前に進めなくなる。 どこへ行くのか。 何を待つのか。 その問いが、空白になる。 ヨブは、終わりしか見えていない。 墓だけが待っている、と言う。 それでも、語ることをやめていない。 望みが見えないまま、 神に向かって語り続けている。 望みがないとき、 何が人を語らせるのか。 望みが見えないとき、あなたはどこにいるのか。 終わりの中にとどまるのか。 それとも、望みが見えないまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、終わりを見ていた。 しかし、なお語っていた。 望みがない。 先が見えない。 墓だけが待っている。 何が人を語らせるのか。 それでも、語ることをやめなかった。 何が、ヨブを語らせているのか。 神は、まだ沈黙している。 望みが見えないとき、それでも言葉は出てくる。
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4月30日読了時間: 1分


慰められないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記16章 ヨブが語る。 言葉はあった。しかし、届かなかった。 「あなたがたは皆、慰めるどころか苦しめる者だ。」 「むなしい慰めの言葉ばかりだ。」 ヨブは、友人たちの言葉を退ける。 言葉はある。 慰めの言葉。 正しい言葉。 しかし、それが届かない。 人は、苦しむ人に言葉をかける。 支えたい。 助けたい。 しかし、その言葉が、 逆に重くなることがある。 慰めが、慰めにならない。 正しい言葉が、なぜ届かないのか。 言葉の中身の問題ではない。 言葉を語る者が、 どこから語っているかの問題かもしれない。 自分の正しさから語られた言葉は、 苦しみの中にいる者には届かない。 慰められないとき、あなたはどこにいるのか。 人の言葉にとどまるのか。 それとも、言葉が届かない場所で、 そのまま神の前に立つのか。 ヨブは、慰めを受けなかった。 言葉はあった。 しかし、届かなかった。 正しい言葉が届かないとき、 問われているのは言葉ではなく、 語る者の立ち位置かもしれない。 神は、まだ沈黙していた。
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4月29日読了時間: 1分


語りを否定されるとき、あなたはどこにいるのか
語りは止められない。しかし、何を根拠に語っているのか。 ヨブ記15章 エリファズが再び語る。 「知恵ある者は空しい知識で答えるだろうか。」 「あなたの語りは、恐れを失わせる。」 ヨブの言葉そのものが否定される。 内容ではなく、 語りそのものを問いただされる。 何を言ったかではなく、 語ること自体が問題とされる。 人は、自分の語りを否定されると、 立つ場所を失う。 間違っている。 語るべきではない。 そう言われると、 言葉が止まる。 しかし、止めることもできない。 ヨブは、なおも語り続け、 エリファズも、問い質し続ける。 どちらも、自分の正しさの中から語っている。 この根拠に、気づいていない。 人は、 自分の正しさを根拠に 語り続けていることを、気づかずにいる。 語りを否定されるとき、あなたはどこにいるのか。 どこを根拠に、語っているのか。 エリファズはヨブの語りを否定するが、 ヨブは語り続けた。 しかし、どちらの語りも、 自分の正しさから出ていた。 神は、まだ沈黙していた。
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4月28日読了時間: 1分


儚い いのちの中で、あなたはどこにいるのか
ヨブ記14章 雨の中でも、いのちは息づいている。 ヨブが語る。 「人は女から生まれ、日が短く、苦しみに満ちている。」 「花のように咲いて、しおれる。」 人のいのちは短い。 儚い。 ヨブは、その現実を見つめる。 人は、自分の儚さを知るとき、 立ち止まる。 ここまでしかない。 これ以上は進めない。 その感覚が、内側に広がる。 人は、続くことを求める。 終わらないこと。 失われないこと。 しかし、 目の前にあるのは、儚い いのちである。 ヨブは、なお神に向かって語っている。 弁明でもなく、知識でもなく、 ただ現実を見つめている。 「花のように咲いて、しおれる。」 その言葉に、 飾りがない。 儚い いのちを前にしたとき、 人は何を握っているのか。 儚い いのちの中で、 終わりの中にとどまるのか。 それとも、その儚さを持ったまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、儚い いのちを見ている。 飾らずに、 そのまま。 しかし、その先は見えていない。 神は、まだ沈黙していた。
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4月27日読了時間: 1分


正しさを手放せないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記13章 ヨブが語る。 「私は神に語りたい。」 「私は自分の道を神の前に弁明する。」 ヨブは、神に向かおうとする。 ヨブは、なお神を求めている。 逃げていない。 背を向けていない。 むしろ、近づこうとしている。 しかしその向かい方が、 弁明だった。 「私は正しい。」 「私は間違っていない。」 その言葉を手に、神の前に立とうとする。 神に近づきながら、 自分を証明しようとしている。 人は、正しさを持って、 神の前に立とうとする。 それがあれば、 受け入れられると思うから。 しかし、その正しさが、 手放せないものになる。 正しさを握ったままの手では 何も受け取れない。 正しさを手放せないとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の正しさにとどまるのか。 それとも、その手を開いて、 神の前に立つのか。 手を開くとき、受け取れるものがある。 ヨブは、神に近づこうとしている。 しかし、その向かい方は、弁明だった。 正しさを握る手では、 語りを受け取れない。 神は、まだ沈黙していた。
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4月26日読了時間: 1分


分かっていると思うとき、あなたはどこにいるのか
知識は語る。しかし、光は別のところから差し込む。 ヨブ記12章 ヨブが応答する。 「あなたがたこそ民だ。知恵はあなたがたとともに死ぬだろう。」 「しかし、私にも心がある。」 ヨブは、友人の言葉に対して語る。 ヨブは言う。 自分も分かっている。 神の力。 神の働き。 それは知っている。 人は、分かっていると思うとき、 立場が強くなる。 理解している。 知っている。 その確信が、前に出る。 しかし、ヨブの知識は、 ヨブを支えていない。 神を知っている。 神の力も働きも語れる。 それでも、苦しみの中で、 その知識は何も握らせてくれない。 「知っている」と「支えられている」は、 別のことだった。 分かっていると思うとき、あなたはどこにいるのか。 知識の中にいるのか。 それとも、 その知識が届かない場所に、 立っているのか。 ヨブは知っていると語った。 神の力も、 神の働きも。 しかしその知識は、 ヨブを支えなかった。 神は、静かに見ていた。
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4月24日読了時間: 1分


言い返されるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記11章 ツォファルが語り始める。 「多くの言葉に答えがないのか。」 「あなたの罪は、あなたが思うよりも軽く扱われている。」 ヨブの言葉に対して、 強く言い返す。 ツォファルの言葉は、鋭い。 語りすぎている。 間違っている。 そう言い切る。 人は、言い返されるとき、 立場を守ろうとする。 自分は間違っていない。 理解されていない。 その思いが強くなる。 しかし、言葉が重なるほど、 争いは深くなる。 ヨブは言い返さない。 恨まない。 それはヨブの敬虔の現われ。 しかし、その敬虔を、 ヨブは握りしめている。 神の言葉の中にいると、 思い込んでいる。 言い返されるとき、あなたはどこにいるのか。 自分の正しさを守るのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ツォファルからの糾弾を言い返さないヨブ。 敬虔なヨブ。 敬虔を握りしめているヨブ。 神の言葉の中にいると 信じているヨブ。 神はヨブを、静かに見ている。 沈黙の中で。 神は、沈黙の中で、静かに見ている。
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4月23日読了時間: 1分


自分の説明が崩れるとき、あなたはどこにいるのか
言葉が尽きるとき、ペンは止まる。それでも、朝は来る。 ヨブ記10章 ヨブは語り続ける。 「私は自分のいのちをいとう。」 「なぜ私を造ったのか。」 ヨブは、自分自身を問い始める。 苦しみは外だけではない。 内側に入ってくる。 友人の言葉は届かなかった。 次にヨブは、自分に向かう。 なぜこうなったのか。 どこが間違っていたのか。 問いは、内側へと向かう。 人は苦しみの中で、自分を疑い始める。 自分が悪かったのか。 何かが足りなかったのか。 しかし、その問いは、 自分を閉じ込めていく。 ヨブは、なお神に向かって語っている。 しかしその語りは、 自分へと引き寄せられていく。 6章で、ヨブは自分の説明の中にいた。 10章で、その説明が崩れた。 「私は一度も神の言葉を拒まなかった」と言えたヨブが、 今は「なぜ私を造ったのか」と問うている。 説明が崩れたとき、 人は何に立てばいいか分からなくなる。 自分の説明が崩れるとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の中に閉じるのか。 それとも、神に向き直り、 気づきの立ち上がる場所にいるのか。 ヨブは、自分
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4月22日読了時間: 2分


正しさが届かないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記9章。 ヨブが応答する。 積まれた本と、その先の棚——言葉は、重なるほどに深くなる。 「確かに、その通りだ。」 「人は神の前でどうして正しくあり得るのか。」 神は大いなる方。 人は、その前に立つことができない。 ヨブは、神の大きさを認める。 神の正しさを、ヨブは否定していない。 しかし、 自分の正しさも、手放していない。 そして、その二つの間には、道がない。 否定でも、反抗でもない。 立ち往生している。 行き詰まっている。 人は、自分の正しさをもって、 神の前に立つことができない。 正しさはあるが、そこに道は見つからない。 人は、正しさで答えを出そうとする。 正しければ、進めると思うから。 残念ながら、神の前では通らない。 ヨブは、なお語っている。 神に向かって語っている。 その語りは、行き場を失い始めている。 語りは消えていない。 なのに、届かない。 同じことが、いま、人の内側で起きている。 人は、正しさを握ろうとする。 正しさがあれば、神に近づけると思うから。 しかし、それでは届かない。 この時、気づきが与えられる。 正しさが届かないと
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4月21日読了時間: 2分
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