top of page

BLOG


どこにいたのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記38章 ついに主が語られる。 嵐の中から。 ヨブは問い続けてきた。 なぜ苦しむのか。 なぜ答えてくださらないのか。 なぜ正しい者が苦しむのか。 友人たちは説明し続けた。 罪。 因果応報。 神の正しさ。 エリフは語った。 神はすでに語っておられる、と。 しかしついに、 主ご自身が語られる。 「知識もなく言葉をもって、 摂理を暗くするこの者はだれか。」 主は、 ヨブの問いに 説明で答えられない。 苦しみの理由を語られない。 その代わりに、 問い返される。 「わたしが地の基を定めたとき、 あなたはどこにいたのか。」 ここで、 ヨブ記全体の視点が変わる。 人は、 苦しみを理解しようとする。 神について説明しようとする。 言葉を整理し、 答えを見出そうとする。 しかし主は、 まずヨブを御前に立たせられる。 海。 光。 暗闇。 星。 大地。 主は、 世界を造られた方として語られる。 人は、すべてを理解してから 神の前に立とうとする。 しかし神の大きさは、 人の理解の中には収まらない。 あなたはどこにいたのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか。 説明
-
5月23日読了時間: 2分


嵐の声を聞くとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記37章 エリフは最後に、嵐について語る。 雷鳴。 稲妻。 吹き荒れる風。 凍るような寒さ。 自然の力の前で、人は立ち尽くす。 エリフは言う。 「これを聞け、ヨブよ。 立ち止まって、神の不思議なみわざを考えよ。」 人は、理解しようとして動き回る。 説明を求める。 答えを急ぐ。 しかしエリフは、「立ち止まれ」と言う。 神の御業は、人の理解を超えている。 人は、すべてを理解してから神の前に立とうとする。 しかし神の大きさは、人の理解の中には収まらない。 嵐の声を聞くとき、あなたはどこにいるのか。 説明を探しているのか。 理解を完成させようとしているのか。 それとも、分からないまま、 神を見上げているのか。 エリフは、嵐の中に神の大いなる御業を見た。 「立ち止まって、神の不思議なみわざを考えよ。」 やがて、嵐の中から、主ご自身が語られる。 立ち止まって、神の不思議なみわざを考えよ。
-
5月22日読了時間: 1分


嵐の中に神を見上げるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記36章 エリフはなお語り続ける。 「もうしばらく待て。 私はなお、神について語ろう。」 エリフは、 神は偉大である。 神は正しい。 神は苦しみを通して語られる。 と語る。 苦しみは、 ただの罰ではない。 神は苦しみを通して、 人の耳を開かれることがある。 やがてエリフの視線は、嵐へと向かう。 雲 雨 雷 稲妻 自然の力の中に、 神の大いなる働きを見る。 人は、理解できない出来事に出会う。 なぜこの苦しみなのか。 なぜ今なのか。 なぜ答えがないのか。 しかしエリフは言う。 神の御業は大きい。 私たちはそのすべてを知ることができない。 嵐の中に神を見上げるとき、あなたはどこにいるのか。 理解しようとしているのか。 説明を求めているのか。 それとも、 理解を超えたまま、 神の大きさを見上げているのか。 エリフは、 苦しみの中にも 神の語りがあることを語った。 雲と雷の向こうに、 神の大いなる御業を見つめた。 理解できない時にも、 神はなお語っておられる。 理解できなくても、神の語りは嵐の中で続いている。
-
5月21日読了時間: 1分


神に何の益があるのかと問うとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記35章 エリフはヨブに語る。 「あなたが正しくても、 神に何を与えることができるのか。」 「あなたが罪を犯しても、 神に何の害を与えることができるのか。」 エリフは、神の完全さを語る。 神は、 人の善によって豊かにならず、 人の罪によって損なわれない。 神は、人によって左右される方ではない。 人は時に思う。 自分の正しさは何の意味があるのか。 祈っても何も変わらない。 神にとって、自分の応答に意味はあるのか。 しかしここで問われているのは、 神に益があるかどうか ではなく、 かみが語っているかどうか である。 神は完全である。 だからこそ、 人の応答によって 神の存在価値が増減することはない。 しかし、 神が語られるなら、 人の本分は応答することである。 神に何の益があるのかと問うとき、あなたはどこにいるのか。 結果を求めているのか。 意味を測っているのか。 それとも、 神が語られるゆえに、 応答しているのか。 神は、 人の善によって豊かにならない。 人の罪によって損なわれない。 それでも、 神は語られる。 そして、 人としての本分は、
-
5月20日読了時間: 1分


神は正しいと語るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記34章 エリフは語る。 神は決して悪を行わない 全能者は不正をなさらない 人の行いに応じて報いられる エリフは、 神の正しさを強く擁護する。 神が間違うことはない。 これは聖書全体において重要な真理。 問題は、 真理を語ることと、 真理の前に立つことは 同じではないということ。 人は、神の正しさを語りながら、 なお自分の理解の中にとどまることがある。 神は正しいと語るとき、あなたはどこにいるのか。 正しい教理を語っているのか。 それとも、理解を超えてなお、 神の前に立っているのか。 エリフは、 神の正しさを語った。 その言葉は真実。 しかし、真理を語ることと、 神の前に立つことは同じではない。 言葉は届く。しかし、神の前に立つのは、あなた自身だ。
-
5月19日読了時間: 1分


沈黙だと思っていた場所で、神はすでに語っておられた
ヨブ記33章 エリフはヨブに語る。 「神は一度、二度と語られる。 しかし人はそれに気づかない。」 ここでヨブ記全体の視点が大きく転換する。 ヨブは問い続けてきた。 なぜ苦しむのか。 なぜ答えてくださらないのか。 なぜ沈黙しておられるのか。 友人たちは説明した。 苦しみには原因がある。 正しい者は報われる。 悪い者は裁かれる。 どちらも、人間の側からの語りだった。 エリフは言う。 「神は語っておられる。」 問題は、神が語っていないことではなく、 人が気づいていないこと。 夢の中で。 痛みを通して。 御使いを通して。 神はすでに語っておられる。 沈黙だと思っていた場所で、 神はすでに語っておられた。 あなたはどこにいるのか。 神が語っていないと思っているのか。 それとも、すでに語られている言葉の前に 立っているのか。 エリフは宣言する。 「神は一度、二度と語られる。」 問題は神の沈黙ではなく、 人が気づかないことだった。 沈黙に見える時にも、 神の語りはすでに始まっている。 沈黙に見える時にも、神の語りはすでに始まっている。
-
5月18日読了時間: 1分


語らずにはいられないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記32章 エリフが登場する。 ヨブが自分を義としたことに怒り、 友人たちが答えられなかったことにも怒る。 長く黙って聞いていた。 しかし、ついに語り始める。 「私の内には言葉が満ちている。」 「語らずにはいられない。」 人は、語るべきだと感じるとき、 沈黙していられなくなる。 しかし問われるのは、 何を語るのか、ではなく、 どこから語るのか、である。 自分の熱心から語るのか。 神から語るのか。 語らずにはいられないとき、あなたはどこにいるのか。 自分の熱心の中にいるのか。 それとも、神の前に立って語るのか。 エリフは、内に満ちた言葉を語り始めた。 語らずにはいられない熱心と、 神からの語りは同じではない。 神は、まだ沈黙している。 語らずにはいられない熱心と、神からの語りは同じではない。
-
5月17日読了時間: 1分


自分の正しさを証明しようとするとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記31章 ヨブは長い自己弁明を行う。 もし不正をしたなら。 もし人を欺いたなら。 もし貧しい者を見捨てたなら。 その報いを受けてもよい、と語る。 ヨブはここで、 自分は正しく生きてきたことを徹底して語る。 苦しみのただ中で、 自分の潔白を証明しようとしている。 人は、誤解されるとき、 自分を分かってほしいと思う。 正しさを認めてほしいと思う。 しかしその証明は、 誰に向けられているのか。 自分の正しさを証明しようとするとき、 あなたはどこにいるのか。 自分の正しさを主張するのか。 それとも、証明を手放して、 神の前に立つのか。 ヨブは、 自分の正しさを徹底して語った。 ヨブは、 何を固く握りしめているのか。 神は、まだ沈黙している。 ヨブは何を固く握りしめているのか。
-
5月16日読了時間: 1分


あの頃はよかったと思うとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記30章 29章で過去の栄光を語ったヨブは、 30章で現在の現実を語る。 若者たちに笑われる。 尊厳を失う。 痛みに苦しむ。 神が遠く感じられる。 過去と現在の落差が露わになる。 あの頃は良かった。 尊ばれていた。 守られていた。 今は侮られ、苦しみ、神が答えない。 ヨブは、自分の現実を隠さない。 人は、過去を思い出すほど、 今の痛みを強く感じる。 あの頃はよかったと思うとき、あなたはどこにいるのか。 過去にとどまるのか。 それとも、失われた現在のまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、過去の栄光と現在の痛みを並べて語った。 過去の輝きが強いほど、 現在の痛みは深く感じられる。 神は、なお沈黙している。 過去の輝きが強いほど、現在の痛みは深く感じられる。
-
5月15日読了時間: 1分


失った日々を振り返るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記29章 ヨブは過ぎ去った日々を回想する。 神の灯が頭の上に輝いていた。 尊敬されていた。 貧しい者を助けていた。 正義を行っていた。 ヨブは、かつての自分を振り返る。 神に守られていた。 人に尊ばれていた。 良い行いをしていた。 その記憶は、失われた現在との対比になる。 人は、過去を振り返るとき、 「あの頃は良かった」と思う。 しかしその回想の中に、 自分の正しさの記憶がある。 神がしてくださったことよりも、 自分がしていたことが前に出てくる。 失った日々を振り返るとき、あなたはどこにいるのか。 過去の栄光の中にいるのか。 何を中心に語るのか。 それとも、失われた現在のまま、 神の前に立つのか。 ヨブは、かつての日々を思い起こす。 神の恵みとともに、 自分の正しさの記憶もある。 神がしてくださったことか、 自分がしていたことか。 その境界線は、気づかないほど薄い。 神は、まだ沈黙している。 神の恵みか、自分の正しさか。その境界線は気づかないほど薄い。
-
5月14日読了時間: 1分
bottom of page