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知恵を探すとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記28章 「知恵はどこで見つかるのか。」 「その場所を知るのは神だけである。」 人は地の深くまで掘り進み、 宝を見つける。 しかし、知恵はそのようには見つからない。 人は掘る。 探す。 見つける。 銀の場所を知り、 金を精錬する。 しかし知恵の場所は、 人には分からない。 知恵は、努力や技術では手に入らない。 最後に語られる。 「主を恐れること、それが知恵である。」 知恵を探すとき、あなたはどこにいるのか。 見つけようとしているのか。 それとも、すでに語られている言葉の前に 立っているのか。 人は多くのものを掘り当てる。 しかし知恵の場所は、 神だけが知っている。 知恵は見つけるものではなく、 神の前で受け取るもの。 「主を恐れること、それが知恵である。」 神は、まだ沈黙している。 知恵は見つけるものではなく、神の前で受け取るもの。
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5月13日読了時間: 1分


なお自分の正しさを握るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記27章 ヨブは語り続ける。 「私は自分の正しさを手放さない。」 「私の良心は私を責めない。」 ヨブはなお、自分の正しさを保持している。 ヨブは明確に語る。 自分は間違っていない。 正しさを手放さない。 良心は責めない。 苦しみの中でも、 自分の正しさは残っている。 人は、すべてを失っても、 最後まで手放せないものがある。 「自分は正しい」という確信。 なお自分の正しさを握るとき、あなたはどこにいるのか。 自分の正しさを守るのか。 それとも、その手を開いて、 神の前に立つのか。 ヨブはなお、自分の正しさを手放さなかった。 すべてを失っても、 最後まで手放せないものがある。 「自分は正しい」という確信。 その手は、まだ閉じられている。 神は、まだ沈黙している。 その手は、まだ閉じられている。
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5月12日読了時間: 1分


支えているつもりのとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記26章 ヨブが応答する。 「力のない者を、あなたは何と助けてくれたことか。」 「何とすばらしい助言をしてくれたことか。」 ヨブは皮肉を込めて語る。 友人たちは、 助けるつもりで語って来た。 正しい言葉。 神学的に整った説明。 それだけでは、 ヨブを支えることができない。 ヨブは言う。 「どれほど助けてくれたことか。」 この言葉には、 深い皮肉がある。 人は、 助けるつもりで、 正しいことばを浴びせかける。 多くの場合、 苦難の中では、痛さでしかない。 言葉が正しくても、 人を支えるとは限らない。 支えているつもりのとき、あなたはどこにいるのか。 自分の正しさの中にいるのか。 それとも、 相手とともに 神の前に立っているのか。 ヨブは、 友人たちの「助け」を皮肉った。 正しい言葉はあった。 しかし、 支えにはならなかった。 神は、まだ沈黙している。 正しい言葉が、人を支えるとは限らない。
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5月11日読了時間: 1分


正しくあり得るのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記25章 ビルダドの最後の言葉。 「人はどうして神の前に正しくあり得るのか。」 「月も輝かず、星も清くない。」 神の大きさと、人の小ささが語られる。 ビルダドの結論は単純である。 神は大いなる方。 人は小さい。 人は正しくなれない。 この言葉自体には、一定の真実がある。 しかし問題は、 その言葉がヨブに向けられていることである。 人は、自分の小ささを知るとき、沈黙する。 しかしその沈黙が、 神の前の沈黙なのか。 人を押しつぶす沈黙なのか。 は別である。 正しくあり得るのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか。 自分の小ささの中に閉じるのか。 それとも、その小ささのまま、 神の前に立つのか。 ビルダドは、人の小ささを語った。 その言葉は真実を含む。 しかしそれは、 ヨブを神の前に立たせる言葉にはならなかった。 真実な言葉でも、 人を神の前に立たせるとは限らない。 神は、まだ沈黙している。 真実な言葉でも、人を神の前に立たせるとは限らない。
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5月10日読了時間: 1分


沈黙を続ける神に苛立ちを覚えるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記24章 苛立ちをそのまま、神の前に持っていく。 ヨブが語る。 「なぜ全能者は時を定めておられないのか。」 「悪しき者は境界を動かす。」 不正が行われている。 弱い者が苦しめられている。 しかし、裁きは見えない。 なぜ止めないのか。 なぜ見ておられるだけなのか。 不正は続いている。 弱い者は苦しんでいる。 神は、沈黙している。 ヨブは、その苛立ちを神に向けて語り続ける。 不満を飲み込まない。 黙らない。 神の沈黙への苛立ちを、 そのまま神に向けて語っている。 沈黙を続ける神に苛立ちを覚えるとき、あなたはどこにいるのか。 苛立ちを抱えたまま、 神から離れるのか。 それとも、その苛立ちごと、 神の前に立つのか。 ヨブは、不正の現実を見ていた。 神は、沈黙していた。 しかしヨブは、 神の沈黙への苛立ちを、 なお神に向かって語り続けた。 神は、まだ沈黙している。
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5月9日読了時間: 1分


神が見えないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記23章 ヨブが語る。 「前に進んでも、神はおられない。」 「後ろにいても、見ることができない。」 ヨブは、神を探している。 沈黙が深くなる。 神に向かっている。 探している。 見えない神を探している。 人は、神が見えないとき、 不安になる。 どこにいるのか。 聞かれているのか。 見つけようとする。 確かめようとする。 やはり、見えてこない。 ヨブは言う。 「神は私の道を知っておられる。」 ここで何かが変わる。 自分は、神を見つけようとしていた。 しかし、すでに知られている。 探している自分、 初めから見ておられる神。 ほとんどの人は、この方向に気づかない。 神を探しているのに、 見られていることを知らないでいる。 ヨブは、ようやく見られていることに気づき始める。 神が見えないとき、あなたはどこにいるのか。 見つけようとしているのか。 それとも、すでに知られている場所に、 立っているのか。 ヨブは、神を探していた。 見えなかった。 しかし語った。 「神は私の道を知っておられる。」 探しているのは自分。 すでに見ておられる神。 探しているのは自
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5月8日読了時間: 1分


神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記22章 エリファズが再び語る。 「人が正しくても、神に益があるだろうか。」 「あなたの悪は大きいのではないか。」 ヨブに対して、罪を断定し始める。 ここで視点が変わる。 正しさは、神のためになるのか。 人の行いは、神に影響を与えるのか。 人は、自分の正しさを価値として持とうとする。 正しいこと。 正しく生きること。 それが意味を持つと思うから。 しかし、それを神に向け始めるとき、 正しさは取引のようになる。 エリファズは、ヨブの苦しみを見て、 原因を探し、罪を当てはめる。 正しさを神への取引にしているのは、 エリファズ自身かもしれない。 神のために正しくなれるのかと語るとき、あなたはどこにいるのか。 正しさを神への取引にしているのか。 それとも、その手を開いて、 神の前に立つのか。 エリファズは、罪を断定した。 正しさを神に向けるとき、 それは応答ではなく、取引になる。 神は、まだ沈黙している。 正しさを神に向けるとき、それは応答か、取引か。
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5月6日読了時間: 1分


報われないとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記21章 ヨブが語る。 「なぜ悪者が生き長らえ、力を増すのか。」 「彼らの家は安らかで、恐れがない。」 悪しき者が栄えている現実が語られる。 友人の論理が崩れる。 悪い者は滅びる。 正しい者は守られる。 人は、正しければ報われると思っている。 悪ければ裁かれると思っている。 現実は、 その通りにはならない。 ヨブは現実を見ている。 友人の論理を崩している。 しかし、その問いかけが、 自分は正しいから報われるべき、 という前提から出ている。 報われないとき、あなたはどこにいるのか。 自分は正しいから救われるべき、 という前提を握りしめるのか。 ヨブは、現実を見ていた。 正しい者が報われない。 悪しき者が栄えている。 この問いは、 自分は正しいから報われるべき、 という思い込みから出ていた。 気が付かないまま。 神は、まだ沈黙している。 気が付かないまま、思い込みの中にいる。
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5月5日読了時間: 1分


いのちの日数が語られるとき、あなたはどこにいるのか
ヨブ記20章 ツォファルが再び語る。 「悪者の喜びは短い。」 「その楽しみは一瞬にすぎない。」 悪しき者の繁栄は続かないと語られる。 時が強調される。 今は栄えていても、 すぐに終わる。 いのちの日数が語られる。 人は、今を見て判断する。 うまくいっている。 苦しんでいる。 そこから結論を出そうとする。 そのまま、 ヨブに当てはめられていく。 時で人を測るとき、 神の視点ではなく、 人の概念に偏る 今が良ければ正しい。 今が悪ければ裁かれている。 その枠組みでは、 ヨブの現実は見えない。 ひとときの喜びが語られるとき、あなたはどこにいるのか。 人生という枠組みの中で、 自分を測り、 他者を裁量しているのか。 ツォファルは、 霧のように儚い人の齢を語る。 神が与えたいのちの日数を ヨブに向けて裁く。 神は、まだ沈黙している。 霧のように儚い、神が与えたいのちの日数。
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5月3日読了時間: 1分


それでも望むとき、あなたはどこにいるのかヨブ記19章
ヨブ記19章 ヨブが語る。 「いつまで私を苦しめるのか。」 「私の近しい者も私を見捨てた。」 人も離れ、 言葉も届かない。 ヨブは、孤立している。 すべてが離れていく。 人。 支え。 理解。 残るものがない。 しかしヨブは言う。 「私は知っている。 私の贖い主は生きている。」 すべてが崩壊する中で、 なお語られる言葉がある。 説明でもなく、 弁明でもなく、 知識でもない。 失いつくした場所から出て来る ただ一つの言葉。 「私は知っている。 私の贖い主は生きている。」 何が、この言葉を語らせているのか。 それでも望むとき、あなたはどこにいるのか。 理解されない。 見捨てられている。 それでも神に向かう。 人の信頼も、支えも、理解も 失ったヨブ。 最後の最後に神にたどり着く。 その姿は 敬虔なようで、 実は、 自分の正しさを証明して欲しいからなのではないのか。 神は、沈黙を続けている。 神は沈黙を続けている
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5月2日読了時間: 1分
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