top of page

どこにいたのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか

ヨブ記38章


ついに主が語られる。


嵐の中から。



ヨブは問い続けてきた。


なぜ苦しむのか。


なぜ答えてくださらないのか。


なぜ正しい者が苦しむのか。


友人たちは説明し続けた。


罪。


因果応報。


神の正しさ。


エリフは語った。


神はすでに語っておられる、と。



しかしついに、

主ご自身が語られる。


「知識もなく言葉をもって、

摂理を暗くするこの者はだれか。」



主は、

ヨブの問いに

説明で答えられない。


苦しみの理由を語られない。


その代わりに、

問い返される。



「わたしが地の基を定めたとき、

あなたはどこにいたのか。」



ここで、

ヨブ記全体の視点が変わる。


人は、


苦しみを理解しようとする。


神について説明しようとする。


言葉を整理し、

答えを見出そうとする。


しかし主は、

まずヨブを御前に立たせられる。



海。


光。


暗闇。


星。


大地。


主は、

世界を造られた方として語られる。



人は、すべてを理解してから

神の前に立とうとする。


しかし神の大きさは、

人の理解の中には収まらない。



あなたはどこにいたのかと問われるとき、あなたはどこにいるのか。


説明の中にいるのか。


理解を完成させようとしているのか。


それとも、


理解できないまま、

なお神を見上げているのか。



主は、ヨブに説明を与えられなかった。


その代わり、

御前へ呼び出された。



やがてヨブは、

答えを得る前に、

主の前に立つ者となる。


木製のテーブルの上に、湯気の立つコーヒーカップとグラノーラ、ベリー、パン、ジャムが並んでいる。朝の静かな光が差し込んでいる。
神は説明より先に、人を御前に立たせる。


 
 
 

コメント


bottom of page