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Yoriko Sakasegawa

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登録日: 2026年1月12日

記事 (15)

2026年3月17日2
漱石と太宰が描いた「喪失」の正体とは何か
日本のトップノベルは、いまだに『人間失格』と『こころ』が二分している。 欧米では『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハックルベリー・フィン』、『ハリー・ポッター』など、夢や冒険、希望を描く物語が読み継がれているのに、 なぜ日本では“人の本質”を問う小説が圧倒的に支持され続けるのか。 それは、 日本人が「軸を失ってしまった」という現実を象徴しているのではないか。 漱石が見つめた「武士道の終焉」と時代の崩壊 夏目漱石は、明治維新の風に吹かれながら生きた。 文明開化の激流の中で、価値観が根こそぎ揺さぶられていく時代。 そこに追い打ちをかけるように、 明治天皇の崩御、 その後を追うように乃木希典が殉死する。 この二つの出来事は、 日本人の精神的支柱であった「武士道」が大きく変質し始めた象徴のようだ。 漱石は、その激動と喪失を、 まるでレクイエムのように作品に書き出している。 『こころ』に流れる深い孤独と罪責感は、 “一つの時代が終わる痛み”のように感じる。 戦後の寵児、太宰治。 彼は、「戦後の虚無」と支えの喪失を描いた。 すべての価値観が塗り替えられ、...

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2026年3月11日1
神学ではなく、交わり
神学ではなく、交わり 聖書が語る“いのち”は、 説明でも、理屈でも、思想でもない。 それは、 神との関わりという実体。 キリストの霊との交わりという現実。 説明ではなく、実体 説明は頭に触れる。 実体はいのちに触れる。 聖書が置いているのは、 意味ではなく、 存在そのもの。 理屈ではなく、いのち 理屈は積み上がる。 いのちは吹き込まれる。 触れたとき、 深いところで“そうだ”とわかる。 それが真理。 思想ではなく、関わり 思想は人が作る。 関わりはいのちが流れる。 聖書が開いているのは、 考えではなく、 神とのつながり。 神学ではなく、交わり 神学は外側から眺める。 交わりはいのちが内側に入る。 語る体系ではなく、 与えられる実体。 聖書が示しているのは、 キリストの霊との交わりという、静かな現実。 **いのちは、説明では届かない。 交わりでしか届かない。** 言葉を理解するのではなく、 いのちが吹き込まれる。 腑に落ちるとき、 いのちが入る。 それが、 聖書の語る“いのち”。 静けさの中に、いのちの気配

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2026年3月8日2
ひかりといういのちが開く奥義
原語の息に触れていると、 “ひかりといういのち”が 静かにみことばを開いていく瞬間があります。 奥義は、人の理解ではなく、 与えられるもの。 聖霊がそっと示してくださる 御国の物語がそこに流れています。

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