top of page

見えない世界を見ようとするとき、あなたはどこにいるのか

ヨブ記39章


主はなお語られる。


しかし、

苦しみの理由は説明されない。


その代わりに、

主は生き物たちについて語られる。



山やぎ。


雌鹿。


野ろば。


野牛。


だちょう。


馬。


鷲。


それぞれが、

人の支配を超えて生きている。


人の理解を超えたところで、

命は動いている。



主は問われる。


「あなたは知っているのか。」


「あなたは見ることができるのか。」


「あなたはこれを支配できるのか。」



人は、

世界を理解しようとする。


説明しようとする。


管理しようとする。


しかし主は、

人の手に収まらない命の世界を示される。


野ろばは、

人に仕えない。


野牛は、

人のために働こうとしない。


だちょうは、

愚かに見える。


しかし、

なお命を与えられている。


人は、

役に立つかどうかで

物事を測ろうとする。


理解できるかどうかで

価値を決めようとする。


しかし主は、

人の理解の外にも、

なお世界が広がっていることを示される。



見えない世界を見ようとするとき、あなたはどこにいるのか。


理解できるものだけを見ているのか。


自分の尺度で測っているのか。


それとも、


理解を超えた命の広がりの前で、

なお神を見上げているのか。


主は、

生き物たちを通して語られた。


世界は、

人の理解だけでは測れない。


神の御業は、

人の管理や説明を超えて広がっている。


理解を超えた場所でも、いのちはなお神によって支えられている。


朝日が差し込む窓辺の木製テーブルに、湯気の立つコーヒーカップとトーストが置かれている。部屋には静かな朝の光が満ちている。
人が理解出来ない場所にも、神のいのちは満ちている。

 
 
 

コメント


bottom of page