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「私だけならいいのだけど・・」

更新日:2月25日


「窓辺の光の中に置かれたマグカップの写真」
孤独の沈黙の奥で、光は息をひそめて待っている。

私だけならいいのだけど──

孤独で心が壊れそうになったあの時間は、性格の問題でも、環境の問題でもなかった。

多くの人は孤独を「自分の内側で処理するもの」と考える。

けれど、私が闇の底で気づいたのは、孤独は心の闇ではなく、

神との断絶が生み出す深い沈黙だということだった。


カラ元気は、その沈黙を隠すための最後の膜。

無理して笑うとき、人は自分を守っているようでいて、

実は触れてはいけない“霊の裂け目”を覆っている。

私もそうだった。

笑顔の裏で、誰にも触れられない孤独が静かに膨らんでいき、

やがて心が耐えられなくなった。


もしこれが私だけの問題なら、どれほど気が楽だっただろう。

けれど、聖書は孤独を「人間の弱さ」とは呼ばない。

神との断絶が生み出す闇だと語る。

つまり、孤独は“心の病”ではなく、

“霊の深い層で起きている現象”なのだ。


驚いたのは、この不可解な闇を解いたのが、

努力でも、気合でも、誰かの励ましでもなく、

みことばの奥義だったこと。

神の物語に触れたとき、

孤独は「私の問題」ではなく、

光へ向かう裂け目だったとわかった。


孤独は、神が語られる前の沈黙。

闇の底で、光が息をひそめて待っている場所。

あの沈黙がなければ、私は光の名を知らなかっただろう。

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