もうひとつの苦しみ
- Yoriko Sakasegawa
- 2月26日
- 読了時間: 2分
苦しみには、二つの種類があるように思う。
ひとつは、この世で誰もが経験する苦しみ。
環境や出来事、人との関わりの中で生まれる痛み。
生きていれば避けられない、外側からやってくる重さ。
もうひとつは、もっと静かで、もっと内側に触れてくる苦しみ。
それは、自分の心がみこころから離れてしまったときに、
ふと胸の奥に生まれる、言葉にならない痛み。
何かが違う、と知らせてくるような、
小さなズレのような、でも深いところに響く痛み。
不思議なのは、この二つ目の苦しみは、
自分が直接何かをしたわけでもないのに、
ふとした瞬間に訪れることがあるということ。
まるで、自分の内側を通り抜けていくように、
静かに、でも確かに触れてくる。
それは、キリストが味わわれた苦しみの“余韻”のようなものかもしれない。
みこころから離れる痛みを、最初に、そして完全に味わわれた方。
だからこそ、その痛みは今も世界に流れていて、
ときどき、私たちの心にも触れてくるのだと思う。
この世の苦しみとは違う苦しみがある。
それは、自分が直接関わっていなくても、
なぜか味わうことができる苦しみ。
その痛みに気づくとき、
どこかで、キリストの心に触れているのかもしれない。




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