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遊びをせんとや生まれけむ

更新日:2月26日

「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」

平安の今様に響くこの一節は、可憐でありながら、どこか深い問いを含んでいる。

人は遊ぶために生まれたのだろうか、と。

聖書は語る。

神は創造を「良し」とされた、と。

世界は義務から始まったのではない。

喜びから始まった。

今日、黒豆を蒸しながら、立ちのぼる湯気を見つめた。

紫かぶを甘酢にくぐらせると、色がすっと冴える。

豚汁に落とした葉が、やわらかく揺れる。

誰に見せるでもない、ただの家の食卓。

それでも、胸がふっとほころぶ瞬間がある。

もし人が、ただ労するためだけに造られたのなら、

神はこんな彩りや香りを与えられただろうか。

戯れとは、神を忘れることではない。

むしろ、御前で安心して微笑むこと。

やがて主は来られる。

御国は完成する。

その約束を抱きながら、

今日という一日もまた、永遠へとつながっている。

人は遊ぶために生まれたのか。

いいえ、神の喜びに参与するために。

戯れは、御国のひそやかな影である。  


珈琲農園の朝
立ちのぼる湯気の向こうに、創造の光がひらく。

 
 
 

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