雅歌の森を歩く――私のナルドが香りを放つ
更新日:3 日前
雅歌1章12節
雅歌が、少しずつ見えてきた。
何が書かれているのか、わかったということではない。
この書に向き合う、自分の姿勢が見えてきた。
愛を知らないわけではない。
けれど、知り尽くしているわけではない。
言葉を調べ、人称を追い、主語を確かめる。
それでも、わからないことがある。
そのわからなさを、説明で埋めようとしていたのかもしれない。
愛を説明しない、というよりも、
愛を、わかったことにしない。
その姿勢で、今日は1章12節を読む。
ビメスィボー בִּמְסִבּוֹ その(彼の)席に | シェハメレク שֶׁהַמֶּלֶךְ 関係代名詞・冠詞・王 | アド עַד־ 〜まで |
レーホー רֵיחוֹ׃ その(それの)香り | ナタン נָתַן 与えた | ニルディー נִרְדִּי 私のナルド |
王がその席にいる間、
私のナルドは、その香りを放った。
〈ヘブル語本文からの試訳〉
「その席」と訳した言葉は、宴席とも、横たわる場所とも理解される。どのような場所なのか、細部はまだ決めずに読む。
ここには、「王」がいる。
1章4節にも、王が登場していた。
あのときは、
「王は私をその部屋に連れて行った」。
ここでは、
「王がその席にいる間」。
そのあとに、「私のナルド」が続く。
ニルディー נִרְדִּי 私のナルド |
語の末尾に、「私の」を表す形がついている。
この「私」は、自分の持つナルドについて語っている。
続く言葉は、
レーホー רֵיחוֹ その(それの)香り | ナタン נָתַן 与えた |
その香りを放った。
「放った」と訳した動詞は、基本的には「与える」という意味を持つ。
言葉をそのまま並べるなら、
「私のナルドが、その香りを与えた」。
動詞の主語は、「私のナルド」。
「私が香りを放った」ではない。
私のナルドが、その香りを放った。
ここで、3節の言葉を思い出す。
そこには、
「あなたの香油」
「あなたの名」があった。
12節では、
「私のナルド」。
「あなたの」から、「私の」へ。
香りに関わる言葉が、今度は「私」のものとして現れている。
ただし、それを「相手の愛に応えた」と説明するのは、ここから先の解釈になる。
この節には、ナルドを注いだという動作は記されていない。
王がその香りをどう受け取ったのかも、記されていない。
書かれているのは、
王がその席にいる間、
私のナルドが、その香りを放ったということ。
「王」と「私のナルド」。
この短い一節の中に置かれた二つを、どう受け取ればよいのだろう。
すぐに意味を決めたくなる。
けれど、今日は、決めずに読んでみる。
王がいる。
私のナルドが香りを放つ。
まず、この言葉を読んだところに立ってみる。
愛を、わかったことにせずに。




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