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パウロとパスカル

更新日:2月23日


パウロとパスカル
パウロとパスカル

パウロとパスカル。時代も背景もまったく違う二人なのに、どこか同じ光の筋を感じる。

それは、人間を「見る者」としてではなく、「巻き込まれる者」として描いている点だと思う。

人は、自分の目で世界を判断しているように見える。

けれど本当は、もっと深いところで“何かに巻き込まれて”生きている。

パウロはそれを「キリストに捕らえられた」と言い、

パスカルは「人間は信仰するように造られている」と言った。

信仰とは、意志の選択ではなく、存在の構造。

人は信じずには生きられない。

何を信じるかを選んでいるように見えて、

実は“信じるという動きそのもの”に巻き込まれている。

パウロは、ダマスコ途上で“光に倒された”。

あれは、見たのではなく、巻き込まれた出来事。

パスカルの「火の体験」も同じ。

理性の頂点にいた彼が、突然、言葉にならない光に包まれた。

二人とも、光を“観察”したのではない。

光の側が、彼らを捕らえた。

人は、信仰を持つ被造物。

自分の力で神を見つけるのではなく、

神の側から来る光に巻き込まれて初めて、

世界が開き、心が開き、人生が始まる。

パウロとパスカルは、そのことをそれぞれの時代で証している。

人は「見る者」ではなく、「見られる者」。

「選ぶ者」ではなく、「選ばれる者」。

信仰とは、光の側から始まる物語なのだと思う。

 
 
 

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