パウロとパスカル
- Yoriko Sakasegawa
- 2月11日
- 読了時間: 2分
更新日:2月23日

パウロとパスカル。時代も背景もまったく違う二人なのに、どこか同じ光の筋を感じる。
それは、人間を「見る者」としてではなく、「巻き込まれる者」として描いている点だと思う。
人は、自分の目で世界を判断しているように見える。
けれど本当は、もっと深いところで“何かに巻き込まれて”生きている。
パウロはそれを「キリストに捕らえられた」と言い、
パスカルは「人間は信仰するように造られている」と言った。
信仰とは、意志の選択ではなく、存在の構造。
人は信じずには生きられない。
何を信じるかを選んでいるように見えて、
実は“信じるという動きそのもの”に巻き込まれている。
パウロは、ダマスコ途上で“光に倒された”。
あれは、見たのではなく、巻き込まれた出来事。
パスカルの「火の体験」も同じ。
理性の頂点にいた彼が、突然、言葉にならない光に包まれた。
二人とも、光を“観察”したのではない。
光の側が、彼らを捕らえた。
人は、信仰を持つ被造物。
自分の力で神を見つけるのではなく、
神の側から来る光に巻き込まれて初めて、
世界が開き、心が開き、人生が始まる。
パウロとパスカルは、そのことをそれぞれの時代で証している。
人は「見る者」ではなく、「見られる者」。
「選ぶ者」ではなく、「選ばれる者」。
信仰とは、光の側から始まる物語なのだと思う。



コメント