いのちの木への小道(箴言11章)
- Yoriko Sakasegawa
- 3 日前
- 読了時間: 2分
1章から9章までは「 わが子よ 」と、父の語りで埋め尽くされていた。
「この道を歩きなさい。」
「あの道に行ってはならない。」
「知恵の声を聞きなさい。」
10章に入ると、
父の語りを聞いた後の日常が映し出されて来る。
11章は、さらに
短い対比を積み上げながら格言集のようになる。
正しい者と悪しき者
その対比が何度も繰り返される。
10章に比べて、
人の内側にあるものが外側に現れてくる。
その人は何を語るのか。
その人は何を与えるのか。
その人は何を信頼するのか。
その結果が現わされる。
1-9章で、父が語り。
10章で、日常が映し出され、
11章で、その日常から、その人の中身が見えてくる。
「 正しい人の結ぶ実はいのちの木。
知恵のある者は人の心をとらえる。 」 (箴言11:30)
正しい人
צַדִּיק
(ツァディーク)
とは誰なのか。
間違いを犯さない人なのか。
正しい人は、
誠実に歩く人(11:3)
救い出される人(11:8)
導かれる(11:3)
喜びをもたらす(11:10)
実を結ぶ(11:30)
と描かれる。
それは行動や歩みとして現れる。
だから、
正しい人=良い人
としてしまうのは、
少し違うのかもしれない。
アブラハムもダビデも失敗しているのに
正しい人と呼ばれる。
「 アブラムは主を信じた。
主はそれを彼の義と認められた。」(創15:6)
完全さではなく、
神との関わりが語られている。
11章の正しい人とはどのような人なのか。
神の語りに耳を傾けながら歩いている人なのではないか。
なぜなら箴言1-9章で父はずっと、
「わが子よ」
と語っていたから。
正しい人とは、
失敗しない人のことではなく、
神の語りの中を歩こうとしている人なのかもしれない。
能力の差というよりも、
どの声を聞いて歩いているのか。
箴言11章を読んでいると、
そんな問いが静かに聞こえてくる。




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