わが愛する者よ(雅歌1:9)
「わが愛する者よ。私はあなたを
ファラオの戦車の間にいる雌馬になぞらえよう。」
(新改訳2017)
לְסֻסָתִי בְּרִכְבֵי פַרְעֹה
(レ・スサーティー・ベリフヴェー・ファルオー)
「ファラオの戦車(隊)の中の雌馬に」
דִּמִּיתִיךְ רַעְיָתִי
(ディンミーティーフ・ラヤーティー)
「私はあなたをたとえた、わが愛する女よ。」
彼女はずっと彼を呼んでいた。
そして9節。
今度は、彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。
・・・と思った瞬間、
「あなたをファラオの戦車の雌馬になぞらえよう。」
いきなり変!!
雅歌・・やっぱり簡単には歩かせてくれない。(◎_◎;)
まず、本文が言っていることだけを置いてみる。
8節では、「女の中で最も美しい人よ。」
9節では、「ファラオの戦車の間にいる雌馬。」
美しい女性を、雌馬にたとえる。
しかも、ただの雌馬ではない。
ファラオの戦車の、間にいる雌馬。
ここまでが、本文が書いていること。
そして、ここで手が止まる。
・・で、なんでファラオ??
ただの戦車ではなく「ファラオの戦車」。
「羊飼いの戦車」でもなく、「王の戦車」でもなく。
ファラオ。
「ファラオ」と聞くと、出エジプト記14章の景色も浮かんで来る。
イスラエルを追う、ファラオの戦車隊。
強大で、統制された、軍事力そのもののような集団。
その真ん中に、一頭の雌馬。
強いものを出せば出すほど、
一頭の雌馬の存在感が、大きくなる。
・・・そんなことまで、言っているのかなぁ。
ここで、本文の外から、当時の景色を一つだけ借りてみる。
古代エジプトには、戦車隊の中へ雌馬が放たれ、牡馬たちが乱れそうになった、
という記録があるらしい。
もしその景色が9節に響いているなら、
彼女はただ「美しい」のではなく、
そこにいるだけで、戦車隊が平静ではいられなくなる。
……え?
でも、ここから先は、借りものの景色。
雅歌自身は、「なぜファラオなのか」を、説明していないから。
だから、丸をつけるだけにして、置いておく。
そういえば、
4節にも「王」がいた。
1:4「王は私を奥の間に連れて行かれました。」
1:7「あなたはどこで羊を飼うのですか。」
1:9「ファラオの戦車の間にいる雌馬。」
王 → 羊飼いの世界 → ファラオ。
また、大きな力の世界を思わせる語彙が戻ってきた。
これ、前に見つけた
「王だと思ったら、羊を飼っている」
に、もう一枚、景色が重なってくる。
宮廷から野へ出たと思ったら、今度はファラオの戦車隊。
雅歌は、彼をまだ掴ませてくれないだけじゃない。
景色まで、掴ませてくれない。
とりあえず、
ファラオのところに、鉛筆で丸をつける。





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