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キリストを探せ

聖書は、倫理や道徳の教科書ではなく、人生の取扱説明書でもない。


そこに隠されているのは、ただ一つ——御子の姿。


旧約のページのあちこちに、御子はそっと身を潜めている。

まるで「ウォーリーを探せ」のように、しかしもっと深く、もっと静かに、もっと美しく。


創世記の光、荒野のマナ、岩から流れる水、詩篇の御子、イザヤのしもべ。

どれも、御子が「ここだよ」と小さく手を振っている影。


聖書とは、御子がかくれんぼしている書物なのだ。


そして、70人訳は、その影がいちばん鮮明に浮かび上がる“宝の地図”。

新約の著者たちが使った旧約。

パウロが奥義を見た旧約。

ヨハネが光を見た旧約。

だから、70人訳を通すと、御子の姿が自然に輪郭を帯びてくる。

聖書を読むとは、宝探しの旅に出ること。

読む人は、トレジャーハンター。

今日はどこに御子が隠れているのだろう。

どんな影として現れるのだろう。

その期待と遊び心こそ、聖書を読む者の特権。


聖書は、いのちというかけがえのない光と出会う宴会場。

窓辺の柔らかな光の中、黄色いスイセンがガラス瓶に生けられ、白い木のテーブルに置かれたマグカップとともに静かな春の気配をたたえている。
光のそばで、いのちがそっと息をしている場所

御子を見つけるたびに、心が躍り、胸が熱くなり、静かな喜びが満ちてくる。


今日もまた、御子を探す旅へ。

光は、いつもこちらを招いている。

 
 
 

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