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「光あれ」耳のある者は聞きなさい。

冬の朝食
冬の朝食

闇のただ中に、光が呼び出されます。

「光あれ」(創世記1:3)

光源ではありません。見ることのできない霊の光です。


闇は光に打ち勝てず、その瞬間から、世界は動き始めます。


ダニエルに示された幻は、 終わりの時まで封じられ、息をひそめて、

時が満ちる日を誰の手にも触れられずに保たれています。


終わりの日、

小羊が封印を解かれるとき、 巻物は音もなく開かれ、

闇を駆逐する初めの光が輝き始めます。


ヨハネに示されたキリストの黙示の光は、

エペソ書では「神のご計画、みむね、みこころ、目的 」と言い換えられ、

創世記1章3節の「光」を表現していると気づく人は多くないでしょう。

霊の光はキリストに姿を変え、人の霊の中で静かに寄り添います。

いのちの息を吹き込まれた人が生きる者となる瞬間です。


奥義の封印が解かれるみことばの水音に耳が開く時、 羊は泉のほとりへ近寄ってきます。

探し求めていた 「いのち」の響きと出会うからです。


ここは、みことばの水が湧き出す泉です。

泉は自分からは語らず、押しつけず、 ただ湧き出る水を湛えるために置かれました。


泉の管理人の務めは、水が濁らないように、静かに、確認することです。

羊飼いの声を聞き分ける羊が安心して泉の水を飲むことが出来るように・・・


今朝も、霊の一滴が置かれます。 神様の霊と皆様の霊が共にありますように・・・

 
 
 

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