
おやつの時間
七十人訳
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アレクサンドリアで生まれた、ギリシャ語の旧約聖書
目次
一 はじまりは、ひとつの問いから
二 共通のことば「コイネー」
三 アレクサンドリアのユダヤ人たち
四 「七十人」という名前の伝説
五 使徒たちの手にあった聖書
六 「主」と呼ぶこと
七 その後の七十人訳
おしまいに
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■ 一 はじまりは、ひとつの問いから
七十人訳って、いつ、どうしてできたのかな。
ある朝、ふとそう思って、チャッピーとおしゃべりを始めました。
たどってみると、話は一人の王から始まりました。
■ 二 共通のことば「コイネー」
紀元前四世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王が東へ遠征し、ペルシア帝国を倒しました。大王の行くところに、ギリシャの文化とことばが広がっていきます。
各地で少しずつ違っていたギリシャ語の方言が混ざり合い、広い地域で通じる共通のことばが生まれました。それが「コイネー」です。ギリシャ語で「共通の」という意味です。
新約聖書は、すべてこのコイネーで書かれています。
■ 三 アレクサンドリアのユダヤ人たち
大王は紀元前323年、三十二歳で亡くなり、帝国は将軍たちに分けられました。エジプトを治めたのがプトレマイオス朝、都はアレクサンドリアです。
この町には多くのユダヤ人が暮らしていました。世代が進むうちに、彼らの日々のことばはギリシャ語になり、ヘブル語の聖書を読める人が少なくなっていきます。
そこで、聖書をギリシャ語に訳す必要が生まれました。
翻訳はプトレマイオス二世の時代、紀元前三世紀の半ばごろ、まず律法の五書から始まったと考えられています。ほかの書は、その後長い時間をかけて少しずつ訳されていきました。
ところで、このプトレマイオス家の王たちは、聖書の中にも姿を見せている、と読まれてきました。
ダニエル書の10章から12章には、ダニエルが見た長い幻が記されています。
10章では、み使いが「ペルシアの君」や「ギリシャの君」と戦うことが語られます。11章に入ると、王たちの名前を伏せたまま、国々の歩みがこまかく描かれていきます。
11章3〜4節には、一人の勇ましい王が現れて大きな力をふるうものの、その国は砕かれ、天の四方に分けられる、とあります。
古くからこれは、アレクサンドロス大王と、大王の死後に将軍たちへ分けられた帝国のことだと読まれてきました。
続いて、「南の王」と「北の王」が登場します。南はエジプトのプトレマイオス朝、北はシリアのセレウコス朝と重ねられてきました。
この二つの王家は、ユダヤの地をはさんで争いをくり返していきます。
11章6節には、何年かたって両者が手を結び、南の王の娘が北の王のもとへ行くものの、その力を保てない、と記されています。
のちにラテン語の聖書を訳したヒエロニムスは、ダニエル書の注解の中で、この娘をベレニケ、その父をプトレマイオス二世としました。
七十人訳が始まったと伝えられる、あの王です。
ベレニケはセレウコス朝の王に嫁ぎましたが、やがて幼い子とともに命を落としました。
もっとも、本文そのものは一人の名前も挙げていません。王たちを歴史の人物に重ねるのは、後の時代の読み手たちの読み方です。
それでも、こうして読んでみると、律法をギリシャ語に移させた王の家が、ダニエル書の幻の中に読み込まれてきたことになります。
11章はさらに進み、北の王が聖所を汚す場面へと向かいます(31節)。
ここは、のちにアンティオコス四世が神殿を汚した出来事と重ねて読まれてきました。
その神殿が取り戻され、きよめられたことを記念するのが「宮きよめの祭り」です。ヨハネの福音書10章22節で、冬に、イエスが宮を歩いておられた、あの祭りです。
十二月の宮きよめで、またこの話に戻ってくることになりそうです。
ちなみに、同じころユダヤの地では、人々の日常のことばはアラム語(捕囚の地バビロンなどで使われていた、当時の共通語)になっていました。会堂でヘブル語の聖書が朗読されると、そばでアラム語に言い換える人がいたそうです。
ダニエル書も、2章の途中から7章まではアラム語で書かれています。
ことばが変わっても、みことばを聞きたい。どちらの土地でも、同じ願いがあったのかもしれません。
■ 四 「七十人」という名前の伝説
「七十人訳」という名前には、伝説があります。
「アリステアスの手紙」という古い文書によると、エジプトの王の願いで、エルサレムから十二部族それぞれ六人ずつ、合わせて七十二人の長老が招かれ、七十二日で訳し終えたといいます。
七十二を丸めて「七十人」。ラテン語で七十を意味する「セプトゥアギンタ」とも呼ばれます。
後の時代になると、話はさらにふくらみます。「一人ずつ別々の部屋で訳したのに、全員がまったく同じ訳文になった」という奇跡の話です。これはアリステアスの手紙にはなく、のちに付け加わった伝承です。
手紙そのものも、いまでは書かれた時期が後のもので、伝説を含むと考えられています。それでも、こういう話が語り継がれたこと自体が、この訳がどれほど大切にされたかを物語っているようです。
■ 五 使徒たちの手にあった聖書
パウロやペテロの手紙、福音書の中で「聖書に書いてあるとおり」と引かれる旧約のことばは、その多くが七十人訳の言い回しと重なります。ヘブル語本文に近い引用もありますが、ギリシャ語で手紙を書き、ギリシャ語を話す人々に伝えた使徒たちにとって、手もとの聖書は多くの場合この訳でした。
よく知られているのは、マタイの福音書1章23節です。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む」(新共同訳)。
これはイザヤ書7章14節の引用です。
ヘブル語の「アルマー」は、辞書では「処女、乙女、若い女性」。
七十人訳では、これが「パルテノス」と訳されています。パルテノスは、辞書では「処女」。
マタイが引いているのは、七十人訳のほうのことばです。
■ 六 「主」と呼ぶこと
もう一つ、見ておきたいところがあります。
ヘブル語の聖書に記された神の御名、יהוה。七十人訳の写本の多くでは、ここが「主」を意味するギリシャ語「キュリオス」で表されています。
そして新約聖書の人々は、イエスを「キュリオス」と呼びました。
旧約で御名の置かれていた場所のことばで、イエスが呼ばれている。
日本語の聖書の「主」も、この流れの中にあります。
ただ、話はもう少し続きます。
エジプトで見つかったパピルスや、死海のほとりの洞窟から出た断片など、七十人訳の古い写本のいくつかでは、ギリシャ語の文の中に、御名だけがヘブル文字のまま書き込まれています。古い形のヘブル文字で記されたものもあります。
もともとの訳がそうだったのか、後の写字生が書き直したものなのか、それはまだ分かっていません。
どちらであっても、ギリシャ語の文の中で、御名だけがヘブル文字のまま残されています。
小さな断片が、そのことを静かに伝えています。
■ 七 その後の七十人訳
七十人訳は、やがて教会の旧約聖書になっていきました。
すると、ユダヤ人の側は、この訳から距離を置くようになります。二世紀には、ヘブル語本文により忠実な新しいギリシャ語訳がユダヤ人の手で作られました。同じ聖書を、別々の訳で読むようになっていったのです。
四世紀の終わり、ヒエロニムスが聖書をラテン語に訳したとき、旧約は七十人訳からではなく、ヘブル語の本文にさかのぼって訳しました。原典に戻ろうとする動きは、このころにもあったのですね。
また七十人訳には、ヘブル語の聖書にはない書もいくつか含まれていました。いま教会によって旧約の書の数が違うのは、ここにも理由があります。
■ おしまいに
アレクサンドロスの遠征、エジプトの都、ことばを失いかけた人々。
そのただ中で、みことばはギリシャ語の衣をまとい、使徒たちの手に渡り、地中海の町々へ運ばれていきました。
いま日本語で読まれている旧約聖書は、どんな道を通って、ここまで届いたのでしょう。
そしてその道の途中で、何が受け継がれ、何がこぼれ落ちたのでしょう。
お茶をもう一杯いれて、少し考えてみたくなります。
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