
おやつの時間
クリスマス
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クリスマスって、どこから来たの?
聖書に書いてあることと、のちに加わったこと
目次
一 誕生は書いてある。日付は?
二 本文から、日付を探ってみると
三 名前は、どこから来たの?
四 まず、ローマの皇帝たちを整理しておきます
五 12月25日の記録を見てみます
六 ミトラ教から来た、というお話は?
七 日付の由来には、どんな説があるの?
八 皇帝は、まったく関係なかったの?
九 誕生日を祝うことは、よくないこと?
十 「クリスマス」の下に重なっているもの
十一 12月25日から、もう一度、聖書へ
参考にした資料
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12月が近づくと、街にクリスマスがやってきます。
教会に行かなくても、だれもが知っている名前です。イエスの誕生をお祝いする日、と聞いたこともあるかもしれません。
でもね、聖書のどこにも書いていないんです。
12月25日が、イエスのお誕生日とは。
そこで今回は、知っているつもりの「クリスマス」を、三つに分けてたどってみました。
イエスが生まれたこと。
その誕生を、毎年お祝いすること。
その日を、12月25日にすること。
たどってみると、この三つは、同じところから確かめられるものではありませんでした。
■ 一 誕生は書いてある。日付は?
マタイの福音書1~2章と、ルカの福音書1~2章に、イエスの誕生のことが書かれています。
ルカ2章では、御使いが羊飼いたちに、救い主が生まれたことを告げます。羊飼いたちはそれを聞いて、ベツレヘムへ向かい、確かめたことを人々に知らせます。神からの知らせに、人が応えています。
けれども、「12月25日」という日付は、どこにも見当たりませんでした。毎年この日にお祝いしなさい、という定めも、新約聖書には見つかりません。
「クリスマスは聖書にない」と一言で言うと、何がないのかが、ぼやけてしまいます。
誕生の出来事は、書かれています。書かれていないのは、毎年お祝いする日と、その日付です。そちらは、のちの教会の歩みの中で確かめることになります。
羊飼いが夜に野にいた、という記述からも、生まれた月までは読み取れませんでした。ほんとうの誕生日は、わかっていません。
■ 二 本文から、日付を探ってみると
日付は書かれていません。それでも、本文の中に手がかりを探そうとする人たちがいます。そこで、ルカ1章を丁寧に見てみました。
ルカ1章5節
ザカリヤは「アビヤの組」の祭司でした。
歴代誌第一24章10節
神殿で務める祭司は二十四の組に分けられ、アビヤはその八番目の組です。
ルカ1章8〜9節
ザカリヤは、自分の組が当番のときに、くじで聖所に入り、香をたきます。そこで御使いから、エリサベツが男の子を産むと告げられます。
ルカ1章23〜24節
務めの日々が終わって家に帰り、その後、エリサベツが身ごもります。
ルカ1章26節・36節
その「六か月目に」、御使いガブリエルがマリアのもとに遣わされます。エリサベツは「六か月になっている」と告げられます。
本文にあるのは、ここまでです。何月だったかを示すことばは、見当たりませんでした。
ひとつめの説 ―― 仮庵の祭りのころ
この手がかりから、次のように数える説明があります。
二十四の組が、春のニサンの月から一週ずつ順に務めたとすると、八番目のアビヤの組の当番は初夏になります。ザカリヤが帰ってすぐエリサベツが身ごもったとすると、ヨハネが生まれるのは翌年の春、過越のころです。その六か月後がイエスの誕生となり、秋の仮庵の祭りのころになる、という説明です。
この説は、仮庵の祭りのころと言い切って教えられることもあります。
ふたつめの説 ―― 12月のころ
同じ「アビヤの組」から出発して、別の季節にたどり着く説明もあります。
ユダヤの伝承では、70年に神殿が崩れたとき、当番だったのは一番目の組だったとされています。そこを手がかりに、組の回りを年ごとにさかのぼって数えます。すると、ザカリヤの当番は秋になり、イエスの誕生は12月の終わりごろになる、という計算です。[12]
どちらも、前提の上に立っている
同じ本文から、二つの説は、まったく違う季節を導き出していました。並べてみると、どちらも、本文に書かれていないことを前提として置いています。
・組の回り方 ―― 組が毎年春から数え直したのか、年をまたいで続けて回ったのか。本文には書かれていません。
・当番は年に二回 ―― 組は一年に二回ほど回ってきます。告知が一回目の当番のときか、二回目のときかで、季節はおよそ半年ずれます。
・「その後」の長さ ―― 本文は「その後」とだけ書いています。帰ってすぐ身ごもったかどうかは、書かれていません。
・マリアが身ごもった時 ―― ガブリエルの告知のあと、すぐだったのかどうかも、本文は語っていません。
前提を一つ置きかえると、春にも、秋にも、冬にもなりました。
仮庵の祭りのころという説も、12月のころという説も、本文から立ち上げた一つの説です。どちらも、「本文にそう書いてある」ところまでは確かめられませんでした。
本文がはっきり語っているのは、日付ではありませんでした。祭司の務めのさなかに、神の知らせが届いたこと。そして、六か月をへだてて、二つの家に同じ知らせの続きが届いたことです。
■ 三 名前は、どこから来たの?
英語の Christmas(クリスマス)は、古い英語で「キリストのミサ」という意味のことばから来ています。
「クリスマス」ということばのもとは、古い英語の cristes-mæsse(クリステス・マッセ)です。古い英語の辞典を作っている研究グループによると、このことばが書かれた記録は、紀元1000年より前のものは、まだ見つかっていないそうです。
調べてみると、キリストの誕生のお祝いは、4世紀にはもう行われていました。一方、「クリスマス」という英語の名前が記録に出てくるのは、それから六百年以上もたってからでした。お祝いの始まりと、名前の始まりは、別々でした。
■ 四 まず、ローマの皇帝たちを整理しておきます
クリスマスの始まりの話では、皇帝の名前と出来事が混ざりやすいので、ここで並べておきます。
アウグストゥス
ルカ2章1節に出てくる皇帝です。紀元14年に亡くなっています。キリスト教を国の宗教にした人ではありません。
コンスタンティヌスとリキニウス(313年)
313年、二人の皇帝は、キリスト教も含めて、どの宗教を信じてもよいと認めました。よく「ミラノ勅令」と呼ばれています。ただ、これはキリスト教を「国の宗教」にしたのではありません。信じてよい、と認めたものです。
テオドシウス1世たち(380年)
380年、テオドシウス1世たちは、「325年のニカイアの会議で言い表された信仰を、帝国の人々は守るように」という勅令を出しました。これが、キリスト教が「国の宗教」になった節目と、よく説明されます。
並べてみると、認めること、国の宗教にすること、誕生のお祭りが生まれること。これは、一人の皇帝が一度に定めた、ひとつの出来事ではありませんでした。
■ 五 12月25日の記録を見てみます
大切な手がかりに、『354年の年代誌』と呼ばれる古い資料集があります。
その中の、殉教者を記念する日の一覧に、こんな一文があります。
VIII kal. Ian. natus Christus in Betleem Iudeae.
オクターウォー・カレンダース・ヤーヌアーリアース ナートゥス・クリストゥス・イン・ベトレエム・ユーダエアエ
1月1日の八日前(=12月25日)、キリスト、ユダヤのベツレヘムに生まれる
この一覧は、ローマの教会が、殉教者を記念する日を、一年の順に並べたものです。その一覧のいちばん初め、12月25日のところに、殉教者ではなく「キリストの誕生」が書かれています。
ローマの教会が、この日をキリストの誕生を覚える日としていた、という記録です。
この一覧のもとになった部分は、336年ごろまでさかのぼると考えられています。ローマで12月25日に誕生をお祝いしていた、早い証拠とされています。
ここから確かめられるのは、そのころにはもう、この日にお祝いしていた、ということです。「336年に初めて考え出された」というところまでは、確かめられません。
また、これは380年の勅令より前の記録です。「国の宗教になったときに、クリスマスが始まった」という順番には、なっていませんでした。
■ 六 ミトラ教から来た、というお話は?
「12月25日は、もともとミトラという神の誕生日だった。それをキリスト教が取り入れた」
よく耳にするお話です。そこで、確かめられるところを探してみました。
確かめられたのは、同じ『354年の年代誌』の暦の12月25日に、N・INVICTI(ナターリス・インウィクティ)、「負けない者の誕生日」と書かれていることです。ふつうは、ローマの太陽の神ソルのお祭りの日と考えられています。
ただ、そこに「ミトラ」の名前は書かれていませんでした。
ミトラ教を研究しているロジャー・ベックという先生も、「ミトラの誕生日が12月25日だった」という考えは、「国の太陽の神の誕生日と重なっていたはず」という見立てに頼っている、と述べています。ミトラ教のお祭りの暦そのものにも、わからないところが残っているそうです。
このお話の中には、三つのことが重なっていました。
太陽の神と関係があること。
ミトラの誕生日がその日だったこと。
キリスト教がそこから日付を借りたこと。
三つは、それぞれ別に証拠がいるお話でした。
同じ日付が見つかっただけでは、どちらがどちらのもとになったのかまでは、見えてきませんでした。
■ 七 日付の由来には、どんな説があるの?
研究の世界では、大きく二つの説明が話し合われてきました。
宗教の歴史から見る説明
ローマの太陽の神のお祭りや、冬至(日がいちばん短くなる日)とのつながりから、この日付が選ばれ、根づいていったと考える説明です。
ただ、日付が同じというだけでは、借りてきたいきさつまでは証明できない、とされています。
計算から見る説明
キリスト教の中で、イエスの受難の日と、身ごもられた日を計算して、誕生日を割り出した、と考える説明です。
ただ、昔そういう計算があったことと、それがお祭りの日を決めた直接のきっかけだったかどうかは、別に確かめる必要がある、とされています。
計算から見る説明では、3月25日を受難の日とし、身ごもられたのも同じ日だった、という昔の考え方が大切になります。そこから九か月後が、12月25日になります。
これは、いまの研究が「本当に同じ日だった」と証明した、という説明ではありません。昔のキリスト者たちが、日付にどんな意味を見て、どう数えたのかを説明するものです。
今のところ、どちらか一つの説明ですべてが解けた、というところまでは来ていないようです。日付が考え出されたいきさつと、その日付が人々に受け入れられた理由とは、別だったのかもしれない、とも考えられています。
■ 八 皇帝は、まったく関係なかったの?
まったく関係がなかった、とも言い切れないようです。
教会のお祭りが広まっていく歩みには、国の政治や方針も関わってきます。最近の研究には、380年ごろ、コンスタンティノポリス(いまのイスタンブール)で誕生のお祭りが始まったことと、テオドシウス1世がニカイアの信仰を支えたこととの関係を調べたものもあります。
ただ、その研究も、皇帝が「12月25日にお祝いしなさい」と命じた、はっきりした証拠はない、と断っています。
皇帝の関わりを考えることと、「皇帝がクリスマスを作った」と言い切ることとは、分けておきたいと思います。
■ 九 誕生日を祝うことは、よくないこと?
クリスマスの話の中で、こんな声を聞くことがあります。
「聖書で誕生日を祝っているのは、ファラオとヘロデだけ。だから、誕生日のお祝いは、喜ばしいものではない」
これも、本文と、そこから読み取られた考えとを、分けて見てみました。
本文に書かれていること
聖書に、誕生日の祝宴がはっきり出てくるのは、二か所でした。
ひとつは、創世記40章20〜22節です。エジプトの王ファラオが、自分の誕生日に宴を開きます。その日、献酌官長は元の役に戻され、料理長は木に掛けられます。
もうひとつは、マタイ14章6〜10節(マルコ6章21節)です。ヘロデ王の誕生日の祝宴の席で、バプテスマのヨハネの首がはねられます。
二つとも王の祝宴で、どちらにも人の死がともなっています。ここまでは、本文に書かれているとおりです。
誕生を喜ぶ場面
一方で、本文には、誕生を喜ぶ姿も書かれていました。
ルカ1章14節で、御使いはザカリヤに、生まれてくるヨハネについて「多くの人もその誕生を喜ぶ」と告げます。
ルカ1章58節では、ヨハネが生まれたとき、近所の人々や親族が、エリサベツとともに喜びます。
ルカ2章10〜14節では、イエスの誕生が「大きな喜び」として告げられ、天の軍勢が神を賛美します。
この考えは、どこから来たのか
たどってみると、「誕生日の祝いはよくない」という考えは、ある一人だけの思いつきではありませんでした。歴史の中に、そう読んだ人たちがいます。
1世紀のユダヤの歴史家ヨセフスは、「律法は、子の誕生に祝宴を開くことを許さない」と書いています。ただ、その理由として挙げているのは、深酒をいましめることでした。[13]
3世紀の教父オリゲネスは、ファラオとヘロデの二つを挙げて、聖書の中で誕生日を祝っているのは悪しき者たちだ、と書いています。[14]
今日でも、この二か所を理由に、誕生日の祝いをしない人たちがいます。
ただ、初期のキリスト者の中で、ここまではっきり反対したのは、ほぼオリゲネスだけだった、という整理もあります[14]。そのオリゲネスも、ほかの書物では、子どものお祝いを責めてはいません。
継ぎ目
「聖書に出てくる二つの誕生日の祝宴は、どちらも王のもので、そこには死がともなった」
ここまでは、本文です。
「だから、誕生日を祝うこと自体が、喜ばしくない」
ここからは、本文から一歩進めた読み方です。
同じ福音書の中で、本文は、ヨハネの誕生も、イエスの誕生も、「喜び」として語っていました。
この考えは、歴史のある一つの読み方です。ただ、本文がそう言い切っているところは、見つかりませんでした。
■ 十 「クリスマス」の下に重なっているもの
ここまでたどってみると、ひとつの名前の下に、いくつもの層が重なって見えてきました。
イエスの誕生のこと
聖書の本文で確かめます。
誕生を毎年お祝いする日
教会の暦や、説教、礼拝の記録で確かめます。
12月25日が選ばれた理由
古い暦や日付の計算と、それを調べた研究で確かめます。
いまの飾りや贈り物、街のにぎわい
それぞれの国や時代の文化の歴史で確かめます。
いちばん上の層まで、ぜんぶを4世紀のローマのひとつの始まりで説明することは、できそうにありません。ツリーやサンタクロースにも、それぞれに来た道があります。それはまた、別のおやつで。
■ 十一 12月25日から、もう一度、聖書へ
ルカ2章に戻ってみます。
御使いが、救い主の誕生を告げます。
羊飼いたちは、聞いて、出かけて、見て、知らせます。
マリアは、そのすべてを心に納めます。
羊飼いたちは、神をあがめ、賛美しながら帰っていきます。
そこに書かれているのは、神からの知らせと、それに応える人の姿でした。そして、それを覚えるために、のちの人々が設けた日があります。
継ぎ目がわかると、いま何について話しているのかが、すっきり見えてきました。
12月25日を、ほんとうの誕生日と決める必要は、本文の中には見当たりませんでした。日付の由来を、ひとつの説に決める必要も。
聖書に何と書かれているか。
歴史のどこで、何が加わったのか。
知っているつもりだった名前を、そっとほどいて、もう一度、聖書を読む。
今回のおやつの時間、いかがでしたか?
■ 参考にした資料
聖書の説明は、特定の日本語訳からの引用ではなく、要約です。古い史料、研究者の説、整理のための説明を分けて書いています。
[1]ルカ1~2章、マタイ1~2章、歴代誌第一24章 ルカ1章 ルカ2章 歴代誌第一24章
[2]アンドリュー・マクゴーワン「12月25日はどのようにしてクリスマスになったか」(2002年) 開く
[3]古い英語の辞典の編纂研究「cristes-mæsse」 開く
[4]ブリタニカ百科事典(1911年版)「アウグストゥス」 開く
[5]313年の寛容の取り決め、380年の勅令(古代文書の英訳) 開く 開く
[6]「古代末期の旅する祭り――クリスマスはどのようにギリシャ語圏の東方に来たか」(教会史の研究誌) 開く
[7]『354年の年代誌』殉教者記念日の一覧(刊本の再録) 開く
[8]カート・シモンズ「クリスマスの起こりとキリスト誕生の日付」(2015年) 開く この論文は、12月25日がほんとうの誕生日だったとする独自の考えも述べていますが、その結論はこの記事では採っていません。
[9]『354年の年代誌』暦の12月25日 開く
[10]ロジャー・ベック、ミトラの密儀についての論文(2000年) 開く
[11]ノートハフト「クリスマスの日付の起こり――近年の歴史研究の流れ」(2012年) 開く
[12]バビロニア・タルムード「タアニート」29a(神殿が崩れた日に当番だった組についての伝承) 開く
[13]ヨセフス『アピオーンへの反論』2巻26節(英訳) 開く
[14]オリゲネス『マタイ福音書注解』10巻22節 開く 初期のキリスト者と誕生日についての整理は、こちらも参照 開く
調べた日:2026年10月22日
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