
おやつの時間
クリスマスツリー
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クリスマスツリーって、どこから来たの?
木を飾る習慣と、そこに重ねられた意味
目次
一 聖書には、木を飾るように書かれているの?
二 記録をたどると、ライン川のあたりへ
三 枝には、何を飾っていたの?
四 エデンの園の木と、関係があるの?
五 ルターが始めた、というお話は?
六 王室の木が、雑誌に載りました
七 飾りと光も、変わっていきます
八 星を飾ることと、星が書かれていること
九 木の来た道をたどったあとで
参考にした資料
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緑の枝に、赤や金の飾り。
小さな光がともり、てっぺんには星。
クリスマスが近づくと、街にも家にも、木が立ちます。
前回は、サンタクロースの来た道をたどりました。
今回は、その隣に立っているクリスマスツリーです。
家の中に木を置くことに、どのような思いが込められてきたのでしょう。
いつから、飾るようになったのでしょう。
調べてみると、木を飾る習慣と、その木について語られてきた説明には、少しずつ違いがありました。
■ 一 聖書には、木を飾るように書かれているの?
イエスの誕生を記す、マタイ1〜2章とルカ1〜2章を見てみます。
マリアとヨセフ。
飼葉桶に寝かされた幼子。
御使いと羊飼いたち。
星を見てやってくる博士たち。
そこに、クリスマスツリーは登場しません。
誕生を覚えるために、毎年木を飾りなさい、という定めもありませんでした。
根拠:聖書本文
では、ツリーはどこから来たのでしょう。
ここからは、聖書の誕生の記事を離れ、人々の習慣が残る記録をたどります。
■ 二 記録をたどると、ライン川のあたりへ
クリスマスツリーの歴史を調べると、ドイツ語圏、とくにライン川上流のアルザスやバーデンという地方に出会います。
アルザスは、現在のフランス東部です。当時の国境や文化圏は、今と同じではありません。
民俗学者ラースロー・ルカーチの研究は、この地方に残る、木を切ることについての取り決めや、会計記録を調べています。
1521年のセレスタには、クリスマス前の時期に森林を見張る人への支払いが記録されています。
1611年のテュルクハイムでは、クリスマス用に一本を超えて木を切った人に、罰金を科す取り決めがありました。
家に木を飾る人が増えれば、森から持ち出される木も増えます。
華やかな飾りの前に、森を管理する人の仕事が、記録に残っていました。
■ 三 枝には、何を飾っていたの?
1605年ごろのストラスブールには、室内に立てた木の飾りについての記述があります。
紙で作ったバラ。
りんご。
金色に飾った菓子。
砂糖の飾り。
今のツリーにもありそうなものと、少し違うものが並んでいます。歴史家ジュディス・フランダーズは、この記録を紹介しています。
ただ、ここでわかるのは、そのころ、その場所で、飾った木があったということです。
「1605年に、誰かが初めてクリスマスツリーを考え出した」とまでは、言えません。
残っている記録の日付と、習慣が始まった日は、同じとは限りませんでした。
■ 四 エデンの園の木と、関係があるの?
ツリーの由来には、中世の「楽園の木」と結びつける説明があります。
当時、聖書の物語を演じる宗教劇がありました。
アダムとエバの物語では、エデンの園の木を表すために、実をつけた木が使われます。冬には、常緑樹の枝にりんごを結びつけて、木の実を表しました。
この「楽園の木」が、クリスマスツリーにつながったと考える説明です。
歴史家フランダーズは、クリスマスと木の結びつきは、はじめは楽園劇から育ったと説明しています。
ただし、これはフランダーズによる歴史の説明です。創世記の本文が、ツリーの由来を語っているわけではありません。
一方で、先ほどのルカーチの研究は、冬の祭りに木や枝で建物を飾る、この地方の習慣を重視しています。
同じ木を見ていても、研究者が注目する記録は、一つではありません。
りんごが飾られていたこと。
宗教劇で木が使われたこと。
家庭に木が置かれるようになったこと。
この三つが一本の線でつながるかどうかは、まだ確かめる余地がありそうです。
「ツリーは、エデンの園の木です」と一言で言うと、習慣の歴史と、その意味を説明することが、重なってしまいそうです。
■ 五 ルターが始めた、というお話は?
宗教改革者マルティン・ルターが、冬の夜、木々の間に輝く星を見て感動した。
その光景を家族にも見せようと、家に木を持ち込み、ろうそくをともした。
そんな話も伝えられています。
情景が浮かぶお話です。
けれども、教会史の解説誌『クリスチャン・ヒストリー』は、ルターをツリーの発明者とする話には、歴史的な根拠が乏しいと説明しています。
今回は、由来を確定する記録としてではなく、ルターについて語られてきた伝説として受け取っておきます。
■ 六 王室の木が、雑誌に載りました
19世紀のイギリスに来ると、木が広まっていく様子を、もう少し具体的に追えます。
1848年、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』に、ヴィクトリア女王とアルバート公、その子どもたちが、飾られたツリーを囲む絵が掲載されました。
ヴィクトリア&アルバート博物館は、この絵の掲載とともに、ツリーの人気が高まったことを紹介しています。
ただ、「アルバート公が、イギリスに初めてツリーを持ち込んだ」と言い切ると、先にあった記録を見落とします。
イングリッシュ・ヘリテージの解説によれば、1800年には、ジョージ3世の王妃シャーロットが、ウィンザーでツリーを飾っていました。
アルバート公より前です。
始めた人。
広めるきっかけになった人。
サンタクロースの記事でも出会った、継ぎ目がありました。
■ 七 飾りと光も、変わっていきます
19世紀のイギリスでは、買ってきた飾りと、手作りの食べられる飾りを、一緒に枝へ結びつけていました。
光は、ろうそくです。
機械化と印刷技術の発達によって、飾りを大量に作り、広告で知らせることもできるようになります。
今日の電飾が当たり前になるまでには、道具や技術の変化もありました。
木を置くこと。
枝に何かを飾ること。
光をともすこと。
今は一組に見えても、その姿は、長い時間の中で変わってきました。
■ 八 星を飾ることと、星が書かれていること
ツリーのてっぺんには、星がよく飾られます。
マタイ2章には、博士たちが見た星が書かれています。彼らは、その星を見て喜び、幼子のいる家に入り、ひれ伏して礼拝し、贈り物をささげます。
けれども、木の上に星を飾った、とは書かれていません。
根拠:聖書本文、マタイ2章1〜12節
聖書に星が出てくること。
その星を覚えるために、木に星を飾ること。
後の人が両者を結びつけたとしても、同じ行為ではありません。
意味を重ねることと、本文に書かれていること。
ここにも、継ぎ目がありました。
■ 九 木の来た道をたどったあとで
今回たどれたのは、いくつかの場所と時代でした。
ライン川沿いに残る、木や森の記録。
宗教劇に使われた、楽園の木。
室内に飾られた、りんごや紙の花。
雑誌に載った、王室のクリスマス。
店で売られる飾りと、枝にともる光。
誰か一人が、今ある形を全部考え出した、という話ではありませんでした。
クリスマスツリーの習慣を知るには、人々の暮らしの記録を見ます。
イエスの誕生を読むには、聖書の本文に戻ります。
ルカ2章では、御使いが救い主の誕生を告げます。
羊飼いたちは聞き、出かけ、見聞きしたことを知らせます。
そこにあるのは、神からの知らせと、それに応える人の姿でした。
根拠:聖書本文、ルカ2章8〜20節の要約
街に立つ木を見かけたら、枝の飾りを、少し眺めてみたくなります。
この形も、この光も、最初から全部そろっていたわけではなかったのだな、と。
今回のおやつの時間、いかがでしたか?
■ 参考にした資料
この記事では、歴史資料を調べた研究、博物館などの解説、伝説、聖書本文を分けています。古い記録の内容は、各研究・解説による紹介を参照しました。
[1]ラースロー・ルカーチ「16〜17世紀のライン川上流の都市におけるクリスマスツリー」(2014年) 民俗学の研究論文。公開されている要旨で、森林管理の記録や木を飾る習慣を確認。 開く
[2]ジュディス・フランダーズ「クリスマスの通説とクリスマス」(2020年) グレシャム・カレッジの歴史講演原稿。楽園の木、1605年ごろの記録、習慣の普及について参照。 開く
[3]『クリスチャン・ヒストリー』「オー・タンネンバウム」 宗教劇との関連説、ルターについての伝説を確認。 開く
[4]ヴィクトリア&アルバート博物館「ヴィクトリア朝のクリスマスの伝統」 1848年の王室の挿絵、飾りや製造技術について参照。 開く
[5]イングリッシュ・ヘリテージ「クリスマスの緑の飾りの小史」 シャーロット王妃のツリーと、イギリスでの普及について参照。 開く
[6]聖書:マタイ1〜2章、ルカ1〜2章 本文の説明は、特定の日本語訳からの引用ではなく要約です。
資料確認日:2026年10月28日
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